トライアウトを受けなかった理由【“中田翔を倒した男”植松優友#2】
背番号「51」。世間的にはスーパースター、イチローの代名詞でもあるこのナンバーを背負った男が、この秋、ひっそりとユニフォームを脱いだ。元千葉ロッテマリーンズ、植松優友26歳。かつて“中田翔を倒した男”と騒がれ、プロでは未勝利に終わった未完のナックルボーラーが、その野球人生をいま振りかえる――。
2015/12/06
自称「プロ向きではなかった」素直な性格
「カッコええな。これがプロなんやな」
本拠地で投げ負けた相手先発・大野雄大に対しても、そう感じたというほど、自他ともに認める素直な性格。生来、負けず嫌いではあったが、一方では、自分にそこまで特別な“なにか”はないという自覚もあった。だからこそ、入団当初から比較されてきた中田翔や、同級生にしてチームメイトでもあった唐川侑己らに対しても、剥きだしのライバル意識はまったくなかった。
「高校入った時点で野球部とサッカー部のどっちにしようか迷ってたような僕みたいなやつからしたら、1年のときから(大阪)桐蔭の4番を打ってた中田は雲の上の存在。“中田キラー”って呼ばれはじめた頃も『あいつ抑えたら、自分の株も上がるやん』ぐらいの感じでしたしね。唐川にしても、(新人合同)自主トレのときはまだ寒かったから全然プルペンに入らんくて、最初は『大丈夫かな、こいつ』ぐらいに思ってた。でも、いざ試合になったらまったく別人でね(笑)。すぐに『こんな球投げんのか。スゴいなぁー』って思うようになってましたね」
プロである以上、自分の理想とするピッチングは当然あった。肩の手術を経験してからは、杉内俊哉や内海哲也といった同じ左腕を手本に、キレやコントロールで勝負ができるピッチャーへの脱皮を図るべく、試行錯誤も繰りかえした。しかし、そこは結果がすべてのプロの世界。8年間で何度か訪れたチャンスは、つかみかけるたびにその手からスルスルとこぼれていった。
「身もフタもない話になってしまいますけど、結局のところは、僕の性格がプロ向きじゃなかったってことなんですよね。ここ一番の大事な試合にはめっぽう強いし、そこへの気持ちのもっていき方も自分ではわかってたんですけど、それを持続させようとすると、オーバーワークになって怪我をする。プロでの8年間はホンマ、その繰りかえしやったような気がします。今年もやっと上がれたと思ったら、ギックリ腰をやっちゃって、最終的には戦力外。やっと(感覚が)戻ってきたなと思っていた矢先やっただけに、『もう少し投げたかった』っていうのは正直ありますけどね」