嬉し涙に悔し涙……下位指名にこそドラマあり! 国学院大のドラフト会議当日に密着
10月23日に行われたプロ野球ドラフト会議。どうしても報道などは将来が大きく嘱望される上位指名が中心になるが、「プロになれるか否か」がかかる下位指名候補の緊張感はより高い。国学院大からプロ志望届を提出した技巧派左腕の田中大輝と、思いきりよい打撃と強肩が売りの山下幸輝、俊足巧打の小木曽亮の運命の一日に密着した。
2014/11/05
Yu Takagi
↑山下はDeNAから5位で指名されると、ガッツポーズ後に人目をはばからず号泣した。
安堵の表情を見せた田中
国学院大はドラフト会議当日、リーグ最終戦を行っていたため、出場選手そしてベンチ外も含めた4年生は最後の記念撮影などをしており、2巡目の指名が始まったあたりから続々とドラフト会議中継を見守る食堂に入ってきた。その中で一番遅く、そして硬い表情で入ってきたのは小木曽だった。
最初に名前が呼ばれたのは、巨人から4位指名を受けた田中だった。会場に到着してからは、緊張を隠せずそわそわしていると、ムードメーカーの佐々木駿捕手(4年)から「おい、こいつ緊張してるぞ!」などと茶化され表情を崩してはいたが、どこか落ち着きない様子だった。だが、指名の瞬間はガッツポーズ、周囲の部員達に大歓声の中もみくちゃにされた。
田中は大学3年までは公式戦1試合のみの登板だったが、今春に頭角を現すと4勝1敗2完封の成績でチームのリーグ戦準優勝に貢献すると、その後大学日本代表にも選出された。
だがそのアメリカとオランダの遠征で左肩を痛め、今秋は登板なしに終わっていた。それだけに「率直に言ってホッとしました」と安堵した笑顔を浮かべた。
亡き母との約束を果たした山下
DeNAから5位で指名され、ガッツポーズしたすぐ後に号泣をしたのは山下だった。
先に指名された田中に抱きついてからは、しばらく涙が止まらなかった。
「真っ先に浮かんだのはお母さんのこと。そして家族、支えてくれた人たちのことを思うと、もうどうにも涙が止まりませんでした」と山下は振り返る。
山下の母は、山下が小学校6年生だった時の7月、試合を応援に来ていたグラウンドで倒れ、1週間後帰らぬ人に。くも膜下出血だった。
突然、愛する母を失った悲しみ、「頭が痛い」と言っていた母に「病院に行くよう強く言うべきだった」という後悔、様々な想いが駆け巡った。
だがそんな絶望の淵から救ってくれたのは、自営業を営みながらも懸命に兄、姉を含む3人を育ててくれた父や祖父母ら家族、そして周囲の人々だった。
家族はもちろんのこと、周囲からとても慕われていた母を偲んで、多くの人たちが山下の家族を支え、中学時代のシニアリーグ(硬式野球)所属時には友人の母親が、山下の分までお昼のお弁当を作ってくれたのだという。
「プロ野球選手になること」が夢ではなく、つらい時に支えてくれたすべての人たちとの「約束」だった山下は、「1年でも長くプレーしたい」と次なる目標を話し、色紙には〝40歳まで現役〟と力強く書いた。