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野球界も、若年層から積極的な海外挑戦を!【元ドジャーススカウト、小島圭市の禅根夢標】

読売ジャイアンツなどでプレーし、その後ロサンゼルス・ドジャースの日本担当スカウトとして当時、黒田博樹投手や齋藤隆投手の入団に携わった小島圭市氏の連載。小島氏は現在、(株)K’sLabを立ち上げ、スポーツ環境の向上から青少年の育成に積極的に関わっています。今回は「若い世代の海外挑戦」をテーマにし、「海外に出ることの意義」を語ってもらいました。

2014/11/14

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日本を出ることで、物事を見る視野が広がる

 
小島氏は、96年にアメリカのマイナーリーグに挑戦している。巨人を戦力外になった後に、活躍の舞台をアメリカに求めたのだ。野茂英雄がドジャースに活躍し始めたころだから、当然、稀有な存在だった。実際、そういう経験した人物だからこそ、海外挑戦の意義がわかることがある。

 海外で野球をするということを経験して思ったのは、物事を見る視野が、上にも、下にも、横にも、カサにも広がったということです。今まで、知り得ることができなかった事を間近で見ることができたのが良かったです。

 それは、野球のチーム作り、スカウトがどういう存在であるのか、あるいは、コーチがどのような指導をしているのかということです。日本では高校でも、プロでも、ピッチャーが1球を投げるたびに、指導者が口を出す傾向にありますが、アメリカでは、何も言いません。

 つまり、考えさせるのです。

 昔から言われている格言で『コップに水がいっぱいだったら、そこに水を注いでも溢れてしまう』というのがありますよね。知識がいっぱいの人間に、知識を詰め込んでも意味がないのです。コップが空になるまで待つというのがアメリカであるのです。

 私は、アメリカに行って、頭の中が空になるという感覚を知ることができました。そうすると、スポンジのようにあらゆることが吸収できました。日本で理解できなかったことの謎が解けていく感覚がありました。

 アメリカの選手たちがすごいのは、マイナーだけではなく、その前から始まっているのだということです。中学・高校・大学と経ていく中でプログラムに乗っ取って、トレーニングや食事をしっかりとっているのです。

 私が海外へ行くことになった時は、気でも狂ったかのように言われました。ただ、今も同じなのですが、絵を描く人、音楽を演奏する人、科学を勉強する人、語学を勉強する人……あらゆる分野の優秀な人間は、海外に渡るものです。そして、その優秀な人間は、海外に渡ったことによって、さらに優秀になっていくのです。

 日本に留まっていたら、それまでの器で終わってしまう。企業も同じだと思います。若い社員を海外に出向させています。ですから、私が海外に出ていった時に思ったのは『来てよかった』というのと『もっと日本人は出て来なくちゃ』という想いでした。実際、あのころは韓国人のほうが多かったですから。

小島圭市 (2)

元ロサンゼルスドジャース 日本担当スカウト
小島圭市(こじま・けいいち)

1968年7月1日、神奈川県生まれ。東海大高輪台を卒業後の86年、ドラフト外で巨人に入団。 92年にプロ初勝利を挙げるなど、3勝をマークした。その後は故障に泣かされ、94年のオフに 巨人から戦力外通告。巨人在籍中の怪我の影響で1年浪人のあと、96年テキサスレンジャーズとマイナー契約。1年間、マイナーリーグで活躍 した。翌年に日本球界に復帰し中日ドラゴンズでプレー。その後は、台湾の興農ブルズなどで活躍し、現役を引退した。01年日本担当スカウトに就任。石井一久、黒田博樹(ヤンキース)、斎藤隆(楽天)の獲得に尽力。三人が活躍したことから、スカウトとしての腕前を評価された。2013年にスカウトを退職。現在はジュニア育成のため、全国の小・中学生の指導者へ向けた講演会活動や少年野球教室を展開。2014年には会社「K’sLab」を設立。その活動を深く追求している。

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