ロッテ・川満の数奇な野球人生――「同郷の憧れ・伊志嶺選手といつかQVCマリンのお立ち台に」【マリーンズ浦和ファーム通信#23】
ロッテでプロ4年目を迎える川満寛弥は苦しい時、辛い時にチームメイトの前で話をした自分の野球人生の原点を思い出す。
2016/07/01
千葉ロッテマリーンズ
中学校では補欠
千葉県鴨川市で行われた昨年の千葉ロッテマリーンズ秋季キャンプ。参加全選手には練習後、宿舎に戻ってからのスピーチが義務づけられていた。その中でも印象深い内容と、チーム内で話題となったのが、今季4年目を迎える川満寛弥投手の話だった。元々、口数の多いタイプの選手ではない。どちらかというと人見知りで、静かな性格。その若者が、自分のこれまでの野球人生を丁寧に語った。
「ボクの中学校では野球部はあったのですが、3年生の時の部員は10人しかいませんでした。そして、ボクの背番号は『10』。チームで唯一の補欠です。3年生になるまで、ほとんど試合に出ることはなく、3年生になって、最後だからと、少し出させてもらったぐらい。あとはバット引きとか、ボールボーイをしていました」
子どもの時から将来を期待され、野球の王道を歩んできた選手の多いプロ野球界において、冒頭で飛び出したこのエピソードは強烈な印象を与えた。チームメイトの間でざわめきが起こり、誰もが話を聞き入ったほどだ。
「あの時は本当に何を話していいのかわからず、何も話すことがなかった。だから、自分のこれまでを皆さんに知ってもらおうと思いました。それしか思いつかなかった」
中学校では背が高いという理由で主に一塁をしていた。投手を本格的に始めたのは高校になってから。それもまた、部員14名の小さな野球部だ。そこから、どのようにしてプロ入りしたのか? それは数奇な縁といってもいい。