ロッテ2010年胴上げ投手・伊藤義弘、右腕の復活ストーリーは最終段階に【マリーンズ浦和ファーム通信#25】
2010年の日本シリーズの胴上げ投手が長いリハビリを経て実戦に復帰した。
2016/07/21
千葉ロッテマリーンズ
支えになった家族の存在
石垣島で行われた一、二軍合同キャンプ。伊藤は一人、黙々とリハビリのメニューをこなしていた。チームメイトたちがグラウンドで元気に全体練習をこなす横で、静かに復帰に向けての地道な作業を繰り返した。嘆いても、ため息をついても、なにも始まらない。やれることをやるしかない。そう自分に言い聞かせてそこから約半年かけて体を作り直した。一歩ずつ、確かな手ごたえをつかみながら、前に進んだ。孤独な戦いの中での支えは妻であり、6歳の長男、5歳の長女、2歳の次男の子どもたち、家族の存在だった。
「やっぱり、投げることができないし、うまいことリハビリが進まない事もある。だから、イライラするときはありました。でも家に帰って、子どもの無邪気に笑っている顔を見ると、オレがそれではダメだなあと思いました。本当に助けられました」
長男は、胴上げ投手になった2010年生まれ。あの日は妻とスタンドから観戦をしていたが、もちろん0歳だった本人に記憶はない。父として、しっかりと物心がついた今、もう一度、一軍のマウンドに上がる姿を見せてあげたい。その想いが大きなモチベーションとなっている。
「妻も気を使って毎日、食事を作ってくれた。炎症に効く食材を使った料理とか、いろいろと勉強をして栄養を意識したものを作ってくれた。本当に感謝をしています」
孤独な日々だったが、妻と3人の子どもはいつも伊藤に寄り添ってくれた。家族の支えがあったからこそ長い月日を経て、普通にピッチングができる状態にまで戻した。そして7月4日。ついに復帰のマウンドに上がった。
「手ごたえはあります。最速は142キロだったのですが、それはシュート。自分の得意としている球で、球速を出せた。まだまだ、出せる状態にもっていけると思う」
復帰戦ではストレート、シュート、スプリットを試投。スライダーこそ投げなかったものの、公式戦復帰に向けて確かな手ごたえを掴んだ。MAX152キロの剛速球にはまだ少し慎重だが、「もう少しで150キロには戻せる感触がある」と前を向く。