DeNA・三浦大輔が涙のラスト登板。主将・筒香に「日本一になってもう1度胴上げしてくれ」
横浜DeNAベイスターズは、29日、本拠地最終戦を行い、今シーズン限りで引退する三浦大輔が先発。現役生活25年、最後の雄姿を見せつけた。
2016/09/30
打線が反撃するも、10失点で降板
横浜DeNAの三浦大輔が29日、本拠地最終戦での引退試合に挑んだ。
今季3度目の先発マウンドに立ち、7回途中12安打10失点で敗戦投手となり、現役生活にピリオドを打った。試合後のセレモニーでは「みなさんに背中を押してもらえてここまで来れた。横浜一筋で25年やれたことは誇り」と語った。
三浦は1回、1番の坂口智隆を2球で追い込む滑り出しを見せたが、3球目を右翼前にはじき返されると、続く・川端慎吾にエンドランを決められ、1、3塁のピンチを招く。ここで2年連続のトリプルスリー達成を手中に収めている山田哲人を迎えたが、山田を投手ゴロに抑えると、本塁を狙う三塁走者には目もくれず先制を許すも、併殺打を成立させた。
1回裏、2番・梶谷隆幸のソロ本塁打で同点とするも、三浦は2回にもヤクルト打線に捕まる。
先頭の雄平に二塁打を放たれ、1死後、西田明央の左翼前安打でまたも1、3塁。8番にイースタンでトッププロスペクトとさえ評判の高い高卒ルーキーの廣岡大志に左翼スタンドに放り込まれ、1-4とリードを許した。
スタンドは暗雲が立ち込めたが、ここでDeNA打線が引退の三浦のためにと驚異的な反撃を見せる。
2回裏、先頭の6番・エリアンがソロ本塁打を放って反撃ののろしを上げると、2死から、9番の三浦が自ら中前安打で出塁。1番・桑原将志も中前安打で1、3塁の好機を作ると、2番・梶谷隆幸が右中間を破る適時二塁打を放ち同点。さらには、3番・ロペスが左翼スタンドへ2点本塁打を放ち、勝ち越しに成功した。
しかし、三浦は立ち直ることはできなかった。
4回に西田、川端の適時二塁打などで逆転を許すと、6回にも山田にとどめとなる10失点目の適時二塁打を浴びた。三浦はこの後、7回表もマウンドに向かい、1死を取ったところで降板した。
この試合はDeNA選手全員が「18」のユニフォームを着用。三浦の功績に敬意を表したが、ただ、そうした演出は、試合の中でも行われていた。
レジスタ(演出家)は指揮官のラミレス監督だった。
6回表に10点を失った三浦は「これ以上は見せられない」と限界を感じていた。だから、6回の投球を終えてベンチに引き上げるとき、三浦は帽子を取ったものだった。6回裏は三浦からの打順だったから、代打が定石だ。
ところが、ベンチに戻った三浦のもとに、ラミレス監督が寄って来たのだった。
レジスタからの指令は、もう1打席バッターボックスに立ち、7回表のマウンドに上がる。そして、もう一人を相手に投げて降板する、だった。
「行けるか?」と尋ねられた三浦は、受け入れたが、その後、涙をこらえることができなかった。
三浦は打席に立って、その回が終わるとマウンドに向かった。オールストレート勝負で雄平を三振に斬ると、マウンドにフィールドプレイヤー全員が集まった。同時に、ラミレス監督が投手の交代を告げた。
三浦は、ナインと熱い抱擁を交わし、スタンドも拍手に包まれ、最後を見送った。
過去の例をみない、偉大なプレイヤーの引退式だった。
試合は6-11で敗れ、DeNAは3位でペナントレース全試合を終了した。
以下、試合後の三浦大輔の主なインタビュー
――25年間の現役生活、お疲れ様でした。今、終えられてどんな気持ちですか。
最高のプロ野球人生、現役人生だったなと思います。これだけの方が、三浦大輔を愛してくださって最高の現役人生でした。
――最後は涙もありました。
そうですね。こらえきれなかったですね。自然と皆さんの気持ちが伝わってきましたので、寂しいのもありましたけど、皆さんの気持ちがうれしいのも感じました。三浦大輔は幸せだなと思います。
――最後まで勝ちにこだわりたいんだという風に話をされていた中でのマウンドでした。
本当に、みんなが打ってくれて守ってくれたのに、ふがいなくて申し訳なかった。監督の配慮で最後の打席立たせてもらって、もう一人だけマウンドに送り出してくれたので、本当に最高の舞台を用意していただいて感謝しかないです。
――チームメイトの盛り上げもいつも以上に、三浦さんを勝たせたいという想いが伝わって来たんじゃないですか。
マウンドに行てても、ベンチにいてても、みんなの気持ちが伝わってきました。それにこたえられなくて申し訳ないなという気持ちですね。みんなが必死にやってくれたので、自分自身がふがいなかったです。悔しい気持ちもあります。
――打席でヒットを打ちました。
打たれた後でしたけど、ずっと25年間、打席に入ってもピッチャーと思わず、いち打者だと思ってやってきましたから、僕はそれを続けただけでした。
――息子さんの始球式がありました。ご家族への想いはいかがでしょうか。
迷惑ばかりかけてきました。野球をずっとやって来たんで、家を空けることも多かったですし、子どもたちにもね、子どもが生まれた時からずっとプロ野球選手だったので、シーズン中に家にいないのが当たり前のような生活をしていました。それでも、子どもたちは夏休みでも文句言わずにいましたから。最後は球団にお願いして、息子をマウンドで、親父が働いているところを見せて、マウンドに立たせたかった。それを感じてくれたらいいなと思っています。
――声援が大きかったと思います。常にファンに支えられたという話をされますが、最後のハマスタのファンはいかがでしたか。
すごかったです。いつも、打たれても打たれても「次頑張れ」って背中を押してくれました。今日もそうでした。本当にありがたい。球場に入れなかったファンもいたみたいで、横浜にこれなかった全国で応援してくれているファンに支えていただいて、ここまで来れました。その方たち全員に感謝です。
――現役生活を終えて、何がしたいですか。
ほっとしたい。ゆっくりしたいってのはあるんですけど、僕は今日で現役選手は辞めますけど、今シーズン限りということは、チームは戦っているので、最後の最後までチームと一緒に戦っていきたい。それが終わってから何をするか考えます。今はチームをサポートできるように、2016年、最後まで一緒に戦います。
――25年間、どんな現役生活でしたか。
みんなに支えられて愛されて25年間、やってこれましたし、最高のプロ野球人生でした。
――今日の6回裏の3打席目に向かうとき、目に涙がありました。ベンチでは何があったんですか。
正直、6回表に打たれて、次の打席が回って来るので、もうここまでだなと。これ以上は見せれないなという気持ちもありました。最後だなと思って、マウンドを降りて、監督を見たんですけど、監督が指1本立てていたので、どういうことかなと。自分自身は最後だと降りてきたんですけど、1打席立って、次の回、一人だけ行くぞ。行けるか?って言われました。すごい、うれしかった。色々気を遣っていただき、言ってもらったんで、自然と涙が出てきました。
――次、涙を流す時は?
さっき、ロッカーで選手にも言いましたけど、1日でも長く一緒にユニホームを着て戦いたいとお願いしてきたところです。筒香に「日本一になってもう1回胴上げしてくれ」とお願いしたんで、頑張ってもらいたいと思います。
――7回は真っ向勝負で行ったと思いますが、どういう気持ちでしたか?
ベンチから出ていく時に、高城俊人がマスク越しに号泣してて、全球真っすぐでいきましょう!って泣きながら言っていたんで「よっしゃ」と。それしかないと思いました。マウンドからでも(高城)泣いているのが見えたんで、底はぐっとこらえて最後の1球を投げました。
――三浦投手らしいピッチングでした。ご自身ではいかがでしたか。
最後の1球を投げるときに、これでプロ野球選手として、マウンドで投げるのが最後だと思うといろんな気持ちがぐっと来ました。それをこらえるのが精一杯でした。