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ぼくらは日本の選手会という組織について余りに知らなすぎる――【日本プロ野球選手会事務局長 松原徹回顧録1】

2004年の球界再編問題の時に、日本のプロ野球選手会の存在を知った野球ファンの方は多くいるのではないだろうか。しかし残念ながら、実際に選手会はどういう経緯で立ち上がり、どんな組織で、何を行っているのか、ほとんどの野球ファンがしっかりと答えられないのではないだろうか。今回、ノンフィクションライターの田崎健太氏がプロ野球選手会事務局長の松原徹氏へ選手会、そして野球界の抱える様々な問題について取材を行った。ベースボールチャンネル特別連載にてお届けする。まずは選手会の中身の前に、事務局長の松原氏がどうしてこの組織に携わるようになったのか、背景をお伝えしたい。

2015/03/08

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MLB選手会は球団側から権利を勝ち取り、闘いは球団の経営者に対する刺激に

 今では信じられないが、94年の段階で日本のプロ野球とアメリカのメジャーリーグ球団の総収入はほぼ同じ――約1400億円だった。そこからメジャー球団の予算は膨らみ、一方、日本のプロ野球は足踏みを続けた。
 
 翌95年は、野茂英雄が近鉄バファローズを出て、メジャーに渡っている。その後、伊良部秀輝、イチロー、松井秀喜、そしてダルビッシュ有、田中将大――日本の最も優れた人材は当たり前のようにメジャーリーグを目指すようになった。

 日米の分水嶺となった94年から95年に何が起こったのか――メジャーリーグのストライキである。
 このストライキを主導した、メジャーリーグ選手会顧問弁護士のジーン・オルザに昨年の夏、アスファルトが溶けそうに熱いニューヨークのイタリアレストランで会った。
 
「あのストライキのことを教えて欲しい」
 とぼくが訊ねると、オルザは「短い質問だけれど、答えは長くなるね」と笑った。
 
 選手会側はフリーエージェント制度を守ろうとしたとき、球団側はサラリーキャップを持ち出してきた。双方、全く違う交渉を続け、決裂した――オルザはストライキの経緯を説明した。
 
「球団側は選手のまとまりを過小評価していた。彼らは選手をねじ伏せられると思っていたんだ。その経験が生きて、球団と選手会側に平静が訪れたんだ」
 
 選手会が球団と衝突したのはこれが始めてではない。
 フリーエージェント制をはじめ、メジャーリーグ選手会は球団側と闘い、権利を勝ち取ってきた。
 そして、闘いは、球団の経営者に対する刺激となってきた。
 
 選手の権利が拡大すれば、年俸が上がる。球団を維持するには経営努力が必須である。無能な経営者は自然と駆逐され、時に行きすぎがあるとしても、能力ある人間を広く集めることになる。そして、メジャーリーグの胃袋はますます強靱になり、95年以降、日本のプロ野球はすっかり飲み込まれたというわけだ。
 

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