原口文仁、中谷将大、今成亮太かつては田淵幸一……「捕手」を内外野手で起用し、戦力として活用する阪神
阪神に捕手として入団した選手の中には、ポジション転向し、出場機会を増やした選手が多い。
2016/08/26
北川、今成は阪神に移籍後転向
もともと阪神は積極的に「捕手」を野手にコンバートさせて、戦力として活用する。
過去にも、捕手としてはポジション争いに敗れたが、他のポジションにコンバートされて成功した選手が散見される。
塩谷和彦は神港学園高から92年ドラフト6位で阪神に入団。95年から控え捕手として一軍の試合に出ていたが、98年に三塁手に転向、出場機会が増え、オリックスに移籍後はレギュラー三塁手となる。
北川博敏は95年、日本大学からドラフト2位で阪神に入団、控え捕手だったが、打撃面が評価され、99年から一塁を守るようになる。近鉄移籍後は主に一塁手や指名打者として起用され、あの「代打逆転満塁優勝決定本塁打」を打つことになる。
浅井良は2001年法政大学から自由獲得枠で入団。北川同様、控え捕手から07年外野に転向し、代打、守備固めとして活躍した。
現役では狩野恵輔も捕手出身だ。2000年ドラフト3位で前橋工から阪神へ入団。長く矢野の控え捕手に甘んじていたが、2009年には自己最多127試合に出場した。しかし翌年城島健司が入団すると外野に転向。今は代打の切り札となった。
今成亮太は2005年高校ドラフト4巡目で浦和学院高から北海道日本ハムファイターズへ入団。捕手としては芽が出ず、2012年4月に阪神へトレード。阪神では12年、36試合でマスクをかぶった。現在は三塁手として活躍している(今季は1試合マスクをかぶった)。
はるか昔をさかのぼれば阪神は、和田徹、田淵幸一など大物捕手を他のポジションにコンバートして、成功させた事例がある。