高校野球史上初サヨナラボークで決着。西武・上本、延長15回の死闘「いい経験をした」【夏の甲子園、忘れられないワンシーン】
今年で101回目の夏の選手権を迎える甲子園。これまで、様々なドラマが見るものを熱くさせてきた。ただ、それは汗と涙の感動だけでは言い尽くせない、裏の物語がある。7日に開幕する甲子園を前に3回連載にて今までは語られなかった思い出を振り返る。
2016/08/02
バッテリー間に生まれたわずかなズレ
なぜ、サヨナラボークは起きたのだろうか。
この判定は決して間違いではない。
なぜなら、藤田はサインを見てから、セットポジションには入ろうと動作を始めた後、すぐにやり直しているからだ。プレートを外さずに行うその動きがボークとされるのは当然のことである。
藤田がこのときのことをこう振り返っている。
「あのとき、どんな球を投げるか自分の中では決まっていたんです。サインは一応見るくらいのものだった。それでサインを観たんですけど、自分が頷いた後にまだキャッチャーのサインが出ていて……アレ?っと思って、セットに入りかけた手を一瞬、戻してしまったんです」
藤田がそのような動きをしたのには伏線がある。
当時の高校野球では、走者によるサイン伝達が許されていた時代だった。塁上にいる選手が打者にコースや球種のシグナルを送っても咎められることはなく、それはテレビ画面上でも確認できるほどで、二塁走者の不審な所作は、当時の高校野球では“日常”だった
この試合も例にもれず、サイン伝達は行われていた。「僕らもやっていましたしね、そういう時代だった」と上本はいう。ただ、このとき、藤田と上本の間では一つの約束事が決められていたのだという。
それは、サインを二度出すということだった。
走者を混乱させるため、二度出すことでサイン伝達を防ごうとしたわけである。
しかし、これがアダとなった。試合は延長15回まで及び、しかも炎天下で行われている試合だ。その約束事があったことに、記憶や判断が鈍るのも無理はなかった。
上本は言う。
「あれは僕が悪いんです。スコアリングポジションにランナーがいったら、サインを二回出すという話はしていたんですけど、あの試合はセカンドにランナーが行く機会が9回まで少なかったんです。それで、僕自身も安心しちゃっていたことがあって、あの場面では藤田に確認していなかった。大丈夫やろうと。それで、あの時、最初に出したサインは、藤田が投げたいボールだったんです。それで、藤田は頷いて、ああなっちゃったんだと思います」
藤田は集中していたのだという。
「インコースのストレートを投げるつもりでした。ノーアウト満塁でしたけど、追い込んでいたし、相手は下位打線でしたから。このバッターを三振にとって、その後をゲッツー。延長18回まで行ける、と」
しかし、図らずも、両者の意図がわずかにズレ、それが結果的に悲劇を招いてしまったのだった。