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【ドラフト交差点】藤平尚真(横浜)と今井達也(作新学院)、遅れてきた2人の正統派。それぞれの重圧と課題を乗り越え

2016年度のドラフト会議が20日に迫っている。この1年を振り返ると、様々な選手たちがドラフト戦線に名乗りを上げてきた。そんなドラフト候補たちをリポートする。第1回は藤平尚真(横浜)と今井達也(作新学院)。

2016/10/12

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U15日本代表の重荷を背負って出遅れた藤平

“関東左腕四天王”
 2016年のドラフトシーンは、しばしばそう語られていた。
 常総学院の鈴木昭汰、木更津総合の早川隆久、花咲徳栄の高橋昂也、そして、二松学舎大附の大江竜聖。彼らには最後の夏を迎えるまでに2度の甲子園出場があり、そのことで注目を浴びたのだ。

 しかし、それは見方を変えると、こう言うこともできた。
 右投手に逸材がいない―――。
 この夏の甲子園を迎えるまで、確かにその印象は少なくなかった。
 その流れを大きく変えたのが二人の存在である。
 かつてはU15侍JAPANの代表格であった藤平尚真(横浜)とこの夏の甲子園優勝投手・今井達也(作新学院)である。

 ともに、ストレートの最速が150キロを超える二人は、プロ志望届を提出し、新しい船出に気持ちを昂らせている。しかし、そんな彼らはなぜ、登場が遅れたのだろうか。

「夢のような時間を過ごさせてもらいました」

 藤平がそう振り返ったのは中学3年時に参加したあるイベントのことだ。
 2013年に旗揚げした小久保裕紀監督率いる侍JAPANは、同年の秋、「新生・侍ジャパン結団式」を行った。事業の一環として、侍JAPANは世代を超えて一致団結して戦っていくとことを世間に知らせるためのものだった。

 そこに集ったのは、やはり将来を嘱望された選手ばかりだった。
 全日本代表は中田翔(日本ハム)、大学日本代表は大瀬良大地(広島、当時九州共立大)、U18高校代表は森友哉(西武、当時、大阪桐蔭)。どの選手も、今や1軍で活躍する選手ばかりだが、U15代表の一員として参加していたのが、藤平だったのである。

「すごく緊張しました。活躍されている選手ばかりがいて、いい経験でした。話もしました。高校どこに行くのって聞かれて横浜に決まっていたんでそう答えました。甲子園には出ておいた方がいいよと言ってもらえて、モチベーションが高くなりました」

 しかし、そんな“思い出”も高校に入学すると重圧となって降りかかった。「U15日本代表の藤平」はチームメイトだけでなく、周囲の人間も知っていたからだ。

 チームで浮いた存在になったのはそう長い期間ではなかったが、広まっていく世間の評判と自身の目指す選手像とのギャップが知らず知らずのうちに、藤平を苦しめるようになっていた。

「名前だけといったらおかしいんですけど、評判だけが高いところに行ってしまって、実力がついてこないというのがありました。そういう中で、右ひじの成長痛で投げられないことも重なって辛い時期が続きました」

 高校2年夏を迎えるころにはボールを投げられるようにはなったが、結果で示すことはできなかった。最高学年となった昨年秋は、神奈川県大会を制してセンバツ出場を狙って関東大会に挑んだが、常総学院に敗れた。同じU15日本代表でチームメイトだった鈴木にホームランを打たれての敗戦だった。

 将来を嘱望されていたはずの藤平には、甲子園出場のチャンスが1回しかなくなってしまっていた。その間、“関東左腕四天王”が存在感を示していたというわけである。

「やっぱり、そこで終わりたくないという気持ちは強かったですね。U15代表のみんなとまた野球がしたいと思ったし、そのためには目標の一つである甲子園に出場したかった。だから、練習は誰よりもやってきたという自負はあります。それがその後につながったのかなと思います」

 最後の夏、激戦の神奈川大会を制して、ようやく甲子園に出場。1回戦の東北戦では13奪三振を挙げる好投を見せた。2回戦で履正社に敗れたものの、あの結団式で言われた「甲子園に出たほうがいい」の言葉を現実に果たすことができたのである。

 とはいえ、高校3年間を終えた藤平は「高校時代は悔しい想いしかしていない」と満足感はない。その背景には、甲子園の後のU18高校日本代表に選出されながら、主戦を張れなかった悔しさがあるからだ。藤平は、自身に確認するかのようにこう誓う。

「甲子園の前にはBIG3と言ってもらったり、2回戦で敗退したのに、日本代表に選んでもらったり、本当に感謝したいです。でも、JAPANではほとんど登板機会がなかった。エースが今井だったのは、甲子園で結果を出したから当然のことだと思いますけど、やっぱり悔しいです。僕がこれからも意識するとしたら、やっぱり左腕投手ではなく、右の今井になると思います。U15の代表に入って、U18の代表に入ったのは自分だけなので、これからも続けたいと思います。トップクラスの代表に入ることや東京五輪を目標として持っていたいです」

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