ドラフト3位入団・高木勇人、26歳新人が一躍ローテの救世主に【2015年ブレイク選手・巨人】
内海・杉内を欠く中、巨人の先発ローテーションを支えた一人はオールドルーキーだった。1年目から9勝をマークした高木勇人だ。
2015/12/15
巨人軍史上初の投手
このオールドルーキーがいなければ今季の巨人はBクラスだったかもしれない。
東京ドームのお立ち台から「僕は僕です!」と叫び続けた背番号54。
2014年ドラフト3位右腕、高木勇人、26歳。
新人なのにニジュウロク。そう毎年のようにドラフト候補投手。けど、あと1歩が足りずに足踏み。
高木は三重・海星高校卒業後、社会人野球の三菱重工名古屋で7年間を過ごした。
何年も遠回りし続けて、その足りない分をチャラにしたのが必殺の「タカギボール」だ。
社会人時代に取得した真横に鋭く曲がる独特のカットボールを武器にようやく辿り着いた巨人軍。
春季キャンプから猛アピールし1軍枠どころかローテを勝ち取ると、開幕1カ月でいきなり4勝を挙げ3・4月度の月間MVPを獲得。
その後、勝ち星から見放された期間もあったもののローテを守り続け8月終わりに規定投球回数(143回)をクリア。
ドラフト制後、巨人ルーキーで規定投球回をクリアした投手は過去に7名、いずれもドラフト最上位の指名選手のみ。
つまり、高木は球団史上初めてドラフト3位入団で1年目からローテに定着した投手なのである。
その活躍にシーズン中には異例とも言える「高木勇人の熱々オムハヤト弁当」も緊急発売。
まさにあらゆる面で常識を覆し不可能を可能にした男だ。
プロの厳しさも味わった1年
高木にとっては天国と地獄を味わったシーズンだった。
序盤の快進撃と終盤の急激な失速。
春先は同い年の菅野智之とともにローテを支えるも9月は毎試合のように打ち込まれ、クライマックスシリーズでは中継ぎ待機。
最終的に26試合、9勝10敗、防御率3.19でシーズンを終えた。
今思えば、高木は2015年の巨人投手陣で最も崖っぷちの選手だった。
1年目で26歳。ルーキーなのにほとんど第二新卒の年齢である。
高卒や大卒とは違うドラフト中位から下位指名の社会人出身投手は1年目から勝負。
いや1年目がすべてと言っても過言ではない。いわば即戦力を越えた「超」即戦力右腕なわけだから。
育成プランも何もない。とにかく最初から1軍でどれだけ投げられるか。
もちろん高木本人もそんなことは百も承知でキャンプ初日から怒濤の連日プルペン入り。
周囲から飛ばしすぎと心配されながらも、なりふり構わずプロ生活スタートダッシュをかましてみせた。