【ドラ1の知られざる苦悩】元ヤクルト荒木大輔(1)早実に1年生エースが誕生した理由
2022/10/14
産経新聞社
自分は高校ではまだ無理だろうと思っていた。ところが…
早稲田実業野球部は荒木に向いていたといえる。まず強豪校の野球部によくある厳しい上下関係が存在しなかった
「常識的なレベルでやっていれば何も言われない。くだらないことはないです。ぼく自身、そういうのがあったら続かなかったと思いますよ」
高校生としての初登板は4月27日のことだった。静岡県の島田工業との練習試合に登板、8対1で勝利している。被安打4、自責点1だった。
「ぼくは高校に入ったばかり。高校3年生とは体力が違う。自分は高校ではまだ無理だろうと思っていた。ところが初めて先発したときに完投してしまった。なんか変な感じがしたことを覚えています。その後も何回か練習試合で投げさせてもらい、ほとんど打たれなかった」
7月、夏の甲子園の出場権をかけた東東京大会が始まる。大会前、合宿所でメンバーが発表された。背番号1番から順番に名前が呼び上げられるのが早稲田実業のならわしだった。1番は2年生の主戦投手、芳賀誠。そして2番、3番と進んでいった。15番まで来たときに、自分は落ちたのだと荒木は思った。試合では好投していたのに、と残念だった。
すると16番目に荒木の名前が呼ばれた。
「投手としては芳賀さん、津村(哲郎)さんの次の3番手。そしてサードの控えでもあった。まあ、先輩にくっついて行って、どっかで試合に出られればいいやって感じでした」
ところが――。
東東京大会開始の10日ほど前、芳賀が練習中に自打球を右脚ふくらはぎにぶつけて、怪我を負ったのだ。
「野球部は大パニックですよ。芳賀さんというのは本当に凄くて、東京都でもトップクラスのピッチャーだった。芳賀さんがいれば勝てるだろうという風にみんなが見ていた。人間的にも凄くいい人で、チーム芳賀みたいな形でまとまっていたんです。その人がいなくなるわけですから」
さらに2番手投手、3年生の津村は虫垂炎の手術を受けた直後だったという。そこで荒木が3回戦の京華戦に登板することになった。この試合を荒木は13対3で乗り切った。さらに準々決勝の岩倉戦を3対0、決勝では二松学舎を10対4で退けて甲子園出場を決めた。この全てを荒木が投げきっている。
「東東京都大会のときは、無我夢中で何もわかっていなかった」と振り返る。
甲子園のベンチ入りは15人に絞られる。背番号1番はやはり芳賀に渡され、荒木は11番となった。
(2)につづく
この記事に興味をもったあなたにおすすめ
ドラフト1位という十字架を背負った者だけがわかる苦悩の数々…
楽天ブックスなどで発売中です↓
『ドライチ ドラフト1位の肖像』
【収録選手】
CASE1 辻内崇伸(05年高校生ドラフト1巡目 読売ジャイアンツ)
CASE2 多田野数人(07年大学生・社会人ドラフト1巡目 北海道日本ハムファイターズ)
CASE3 的場寛一(99年ドラフト1位 阪神タイガース)
CASE4 古木克明 (98年ドラフト1位 横浜ベイスターズ)
CASE5 大越基(92年ドラフト1位 福岡ダイエーホークス)
CASE6 元木大介(90年ドラフト1位 読売ジャイアンツ)
CASE7 前田幸長(88年ドラフト1位 ロッテオリオンズ)
CASE8 荒木大輔 (82年ドラフト1位 ヤクルトスワローズ)