【ドラ1の知られざる苦悩】元横浜・古木克明(1)ホームランの基礎を作った建築士の父
2022/10/16
産経新聞社
父親が植え付けた45度の打球角度
父親は古木をまず「ジュニアホークス松阪」というボーイズリーグに入団させた。ただこのチームの主体は中学生で、小学生の選手は少なかった。そこで1年ほど経った後、リトルリーグの「松阪リトルリーグ」に移ることになった。
この頃から古木は潜在能力の高さを示し始めていた。
「自分で言うのもなんですけれど、小学4年生の中でぼくは桁が外れていたんですよ。(投げる)球も速いし、打球もガンガン飛ばすし。4年生たちの中でやらせていると危ないからって、小学6年生のAチームに入れられました」
古木の長距離打者としての基礎を作ったのは父親だった。父親は古木が小学校に上がる時期に建築士として独立していた。時間の自由が利くこともあったろう、自宅にバッティングゲージを設置、毎日夕食後の7時から2時間程度の練習に付き合った。
「親父はすごく勉強家で、ティーバッティングをして、常に打球が45度の角度に上がるように意識させたんです。建築士だったので、そういうのが得意だったんです。45度を測って、そこに印をつけてボールを当てる」
ボールを遠くに飛ばすためには、厳密にはバットの芯ではなく、少し上に当てる必要がある。古木の父親はその当てる場所を息子に意識させたのだ。
やがて強打者、古木の名前は近県で知られるようになった。
「小学4年、5年、6年でホームラン66本。もちろん練習試合を含めてです。万博記念公園内の球場に少年グラウンドがあるんです。西日本大会という大会で、そこのセンターのバックスクリーンを越えたことがありました」
すごく飛ばす選手がいると話題になったみたいですと古木は他人事のように笑った。