【ドラ1の知られざる苦悩】元ダイエー大越基(1)仙台育英との運命的な出会い
2022/10/17
産経新聞社
東北高校への憧れ
大越基は中学3年生の秋の日のことを今でもよく覚えている。
その日、彼は父親と共に仙台市内の東北高校野球部の練習を見学することになっていた。大越にとって東北高校の縦縞のユニフォームは小学生のときから憧れだった。東北高校で野球をしたいという大越のため、父親が学校に連絡をとってくれたのだ。
1971年5月、大越は宮城県宮城郡七ヶ浜町で産まれている。野球とふれ合った時期は早い。幼稚園児の頃、一人でコンクリートの壁めがけて軟式ボールを投げていた記憶があるという。小学3年生から、地元の少年野球チームに入っている。強肩を買われて、小学5年生からエースとなり、全国大会に出場している。
小学6年生のとき、父親の転勤により青森県八戸市に引っ越している。地元の八戸第二中学校の野球部に入ったが、それほど強いチームではなかった。中学3年生の最後の大会で八戸市内で準優勝となったのが最高の成績である。地元の高校の野球部から誘いはあったが、野球の盛んな宮城県の高校へ進学したいと大越は考えていた。
「東北地方って、当時は巨人戦しか放映がなかった。うちは親父がアンチジャイアンツだったので、ぼくも巨人が嫌いになってました。だからあまりプロ野球を見ていなかった。それよりもぼくは小学生のときから高校野球マニアだったんです。東北の高校を応援していて、特に宮城県生まれだったので縦縞の東北高校。あのユニフォームで1番をつけて甲子園に行くのが夢でした。校歌も空で歌うことができるぐらいでしたから」