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江夏、平松、土井、田淵ら……殿堂入りしていない名選手たち

引退後44年を経て殿堂入りを果たした「安打製造機」榎本喜八が話題となっているが、未だ殿堂入りできていない名選手は数多い。投手では江夏豊や平松政次、野手では土井正博や田淵幸一らの名前が「野球の殿堂」に飾られていない。

2016/01/20

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巨人キラーもいまだ殿堂入りならず

 1月18日、2016年度の野球殿堂入りが発表された。ソフトバンクの工藤公康監督ら5人が新たに野球殿堂入りを果たした。
 
 特に注目を集めたのが引退から44年を経て、ようやく殿堂入りを果たした初代「安打製造機」榎本喜八だ。その求道者ぶり故に、引退後はコーチなどの仕事に恵まれなかったものの、毎日・大毎・東京・ロッテ(現千葉ロッテ)の中心打者として通算2314安打を放った名打者。3000本安打の張本勲が「教科書のようだ」と絶賛したほか、稲尾和久も榎本を打ち取るためだけにフォークを覚えたとまで語っていたほどだ。
 
 榎本はようやく殿堂入りを果たしたものの、「野球の殿堂」に相応しい成績を残しながら未だに選出されていない名選手は数多くいる。
 
 筆頭としてあげられるのが「優勝請負人」の異名を持つ江夏豊だ。
 1966年にドラフトで阪神に入団すると、1年目から6年連続でリーグ最多奪三振を記録。2年目には日本記録のシーズン401三振を達成するなど村山実の後を継ぎ阪神のエースとして君臨。1971年のオールスターでの9者連続三振はプロ野球史に残る名場面として語り継がれている。
 
 76年に南海にトレード移籍すると、野村克也との出会いを経てリリーフ投手に転向。以降広島、日本ハム、西武を渡り歩き、最優秀救援投手を5回受賞。79年に広島、81年には日本ハムで守護神としてリーグ優勝に貢献し、史上初の両リーグでのMVP獲得を成し遂げている。
 
 18年のプロ生活で通算206勝、193セーブを積み上げた江夏。殿堂入りできないのは、引退後に覚せい剤所持で逮捕されたことが理由とも言われているが、現在は解説者として活躍中。日本野球屈指の名投手がいない殿堂はあまりにも寂しい。
 
「カミソリシュート」で知られる平松政次も殿堂入りは果たせていない。1966年のドラフトでプロ入りすると、そこから引退の84年まで18年間大洋ホエールズ一筋でプレー。平松の在籍中はAクラスわずか5度という弱小チームでプレーしながら通算201勝(196敗)をあげた。
 
 特に巨人には強く201勝の1/4以上にあたる51勝を巨人から奪っている。これは金田正一の65勝に次ぐ歴代2位の記録。巨人の中でも長嶋茂雄を大の得意としており、通算対戦打率.193、対戦の1/3以上が内野ゴロと完璧に封じ込んでいる。
 
 投手では、南海、巨人、西鉄でエースとして活躍した川崎徳次、阪急一筋で187勝をあげたアンダースローの足立光宏、通算191勝の松岡弘らも殿堂入りを果たせていない。

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