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『1軍めざし、1球にすべてを懸ける』DeNA白根、育成選手としての苦悩を乗り越え再出発

昨年トライアウトを受けた選手の中で注目を集めたのが白根尚貴だった。ホークスから育成選手として再契約の打診があったがそれを断り、あえて厳しい選択を選んだ。そして、ベイスターズで支配下選手としての契約を勝ち取った今、白根は何を思うのか。

2016/02/12

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育成契約に対する疑問

 開星高時代から投打に注目を浴びた。
 甲子園には春・夏3度出場。投げてはストレートの最速が140キロを超え、バッターとしても高校通算本塁打40発を放り込んだ。当時は100キロ近くもあった巨漢と横柄な態度から「山陰のジャイアン」と恐れられた選手だった。
 
 プロにはドラフト4位で入団。ホームランが打てる右のスラッガーとして期待されていたが、プロ入りしてすぐ、不運が白根を襲う。
 
 高校時代の投げすぎがたたり、右ひじのじん帯を損傷。トミー・ジョン手術を受けなければならなくなったのだ。投手としての入団ではなかったとはいえ、1年間を棒に振ったことは選手層の厚いソフトバンクでの立ち位置が悪くなったのは間違いなかった。
 
 3年目のオフにチームから戦力外通告。育成選手としてチームに残ることはできたが、2015年から白根の背中には3ケタの番号が付けられていた。
 
 白根は、悔しそうに当時を振り返る。
 
「一度、支配下で登録されたということがあったのかもしれませんが、自分では、育成契約はプロ野球選手だとは思えなくて……プライドなのかはわかりませんけど、鞄でも、グローブでも、スパイクでも、どこにも、自分の3ケタの番号は入れなかったんです」
 
 もっとも、白根の中に「俺は支配下登録の選手であるはずだ」という自惚れた気持ちがあったわけではなかった。ただ、一度は支配下登録選手としてプロ入りしたことを思うと現実を認めたくない自分がいたのだ。
 
 現在のチームメイトでもある梶谷隆幸のクラブチームの後輩であり、中学時代から地元では名が知れていた。高校でも甲子園を沸かせたスター選手には、この現実を受け入れるのは少し難題だったのかもしれない
 
 当然、ホークスには優れた選手を育成していくシステムがあり、飯田優也や仁保旭など、育成から這い上がった選手はたくさんいる。だから、彼はその壁を乗り越えていくべきだという意見もある。しかし、白根には目標を見出せなかったというのが正直なところだった。
 
「支配下選手と同じ結果を出していても、優先されるのは、支配下選手なんですよね。そう考えたら、突き抜けていかなければいけないんですけど、ホークスのように20人くらいの育成選手を抱えているチームでは壁の高さを感じました。どこまで評価してもらえているのかが見えなかった」

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