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大谷の二刀流に続く日本ハムの新たな育成プロジェクト――センバツ優勝投手、平沼翔太の今

2015年ドラフト4位で入団した平沼翔太。敦賀気比では、春のセンバツの優勝投手だがプロでは遊撃手として勝負する。

2016/05/30

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なぜ平沼を野手として指名したのか?

 日本ハムは、そんな彼を、プロに入ってからは遊撃手として育成しようというのだから、このチームの育成方針には恐れ入る。

 ただ、そんな思い切ったことができるのは、大渕ディレクターをはじめ、担当スカウトたちの眼力があるからだ。

 このプロジェクトに至った経緯について、大渕はこう語る。

「平沼にはまだまだ学ばないといけないところはあるなと高校生の時に感じました。でも、それ以上に光るものを感じましたね。遊撃手をやってほしいという球団の思惑もありますが、それ以上に彼は難しいことでもやるんじゃないかと思わせてくれるようなものをもっている。それだけの人物だと思いました。希望をもってプロではスタートしてほしいんです」

 投手から野手、それも難しいとされる遊撃手でのチャレンジには懐疑的な見方もあるだろう。こなしていくハードルがあまりに高すぎるからだ。

 しかし、日本ハムスカウト陣はむしろ、そうしたハードルこそ、彼の秘めたる力が引き出されると人間性に光を見ている。

 大渕は続ける。
 
「(平沼は)中学のクラブチームの総監督だった小林繁さん(故人)から『日本一になれ』と言われて、日本一を目指すと誓ったそうなんですね。それも福井の高校から日本一になるんだと。当時、敦賀気比が全国の上位チームだったかというとそうではなかったと思うんです。でも、彼は実現しました。これは、なかなかできることじゃない。普通に考えたら無理だと思うようなことをやったんだから、彼ならすごいことをやるんじゃないかとみているんです」。

 当然、そう思えるだけの裏付けは取ってある。
 それが担当スカウトの熊崎誠也による報告があったからだ。熊崎が力説する。

「平沼を欲しいと思ったのは、意思の強さです。平沼に野手として獲得を考えて獲ったといったときに、こんな話をしてきました。『甲子園で10勝した選手って数えるほどしかいないんです。僕10勝2敗ですよ。それでも野手ですか』って。冗談で言っているんですけど、そういう想いが爆発力に変わるんじゃないかなと。あいつの日誌を読ませてもらったんですけど、その内容がすごく意思の強さを感じるものだったんです」

 日誌には、中学から高校を卒業に向けての目標が書かれてあり、それを果たすまでの一日一日の目標設定があり、そして反省もあった。

「『福井県から全国制覇』、『150キロを投げる』、『プロ入り』という三つの目標が彼にはあった。それを達成するために、中学生の時は『月に何回腹筋する必要がある』という小さな目標を立てていて、それに対して、できたかどうか書いてありました。『今日はこういう理由でできなかった。だから、明日取り返す』。翌日を見ると『今日はできた。できるなら、最初からやろうぜ』というように。彼の意志が日誌には綴られていました」

 日本ハムのプロジェクトはそうして掲げられたというわけである。

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