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“厄介な選手”西川遥輝。日本ハムVの立役者は高い出塁率・盗塁成功率と併殺打ゼロ

パリーグを大逆転で制した日本ハム。その立役者の一人が西川遥輝だ。栗山英樹監督は優勝インタビューでも、「遥輝の足」とチームの象徴として挙げていた。智弁和歌山高・高嶋監督の証言をもとに西川の魅力に迫る。

2016/10/04

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併殺打0の記録も「全力疾走は当たり前。語るに足らない」

 

「たまたまですよ、たまたま」

 

返ってきたのは予想通りの反応だった。本人が理由をつらつらと語るような記録ではないし、そういうタイプの選手でもない。次の言葉を待っていると、こうつなげてきた。

「だってランナーがいる場面で200打席立ったとしても全部フライを打ったらゲッツーはないわけじゃないですか。たまたまゲッツーにならなかっただけで、他に理由なんかないですよ」

何とも極端な例を出しながら笑顔で首を振った。さらに……。

 

「少し前のソフトバンク戦で、フルカウントからゴロでセンター前に打ったんです。あの時も一塁ランナーの(大野)奨太さんがスタートを切らなかったからショートがベースカバーに動かなかった。スタートを切ってたらそこにゴロが飛んでゲッツーですよ。だから、やっぱりたまたまなんです」

 

併殺にならないことを意識してバットを振っているわけではないのだから、そう言うしかないのだろうが、ただ……。

西川に声をかける前に1つの仮説を立てていた。今年はその時点で577打席無併殺だったが、昨年も125試合、521打席で併殺は1つ。一昨年も143試合637打席で1つ。ところが2013年には88試合、332打席で5つの併殺を記録していた。2013年と14年の間に何かしらの変化があったのではないか、と考え、聞いてみた。しかし――。

 

「まず、3年前に5本も打った記憶がないんです、ほんとにないんです。だから2013年から14年で何かを変えたとか、変わったとか、そういうのもありません」

 

無意識の意識、潜在意識の中で何かが……。諦めの悪い頭には仮説の続きが残っていた。2013年から14年と言えば日本ハムの顔であった稲葉が打撃コーチ兼任となり、14年には選手専任に戻るも、シーズン後には引退。世代交代が進んだ時期でもあった。そこで、若手からの人望も集めていた稲葉の象徴、全力疾走の継承。そんな思いが西川の中に生まれ、全打席の全力疾走により意識が向いたのではなかったのか――。

 

ただ、長い説明を入れての問いにも「それも特にないです」とあっさり。残念ながら、試合前のベンチでは食い下がりもここまでとなったが、その最後、笑顔の否定を続けた西川がこう言った。

 

「全力疾走なんて当たり前、語るに足らないことじゃないですか」

 

この一言を聞いて、併殺打0の核心に触れた気がした。確かに運によるところもあるだろう。しかし、長いシーズンを通し、運を味方につけ続けられたのもやはり、西川がそれだけのものを持った選手であるということだ。それだけのものとは――。

 

例えば、脚力、全力疾走、日々のたゆまぬトレーニング、そして勝利への執着心といったものだ。これらが揃ってのシーズン無併殺。中でも感じるのが心の充実だ。打席の中で4-1を3-1にしよう、是が非でも出塁を増やそう、とおそらく意識を高めたことと同様、1つのアウト、1つの進塁にこだわり、走り抜けた先に併殺ゼロが待っていたのだろう。

 

さて、間もなくポストシーズンが始まる。6年前、西川が北海道をやんわり拒んでいた理由は「寒いのが苦手だから」だったが、寒い冬が訪れる前に。

 

相手にとってなんとも厄介な男が秋の戦いをより熱いものにするはず。緊迫の戦いを“併殺打の周辺”に注目して見るのも面白そうだ。

 

 

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