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負けてもファンを魅了するのがプロ!【元ロッテ・里崎智也が語るプロ野球選手論①】

全国のマリーンズファンに不定期でお届けしてきたこのコラムに、今年1年を締めくくるにふさわしい、あの大天使がいよいよ降臨。来季もきっと千葉ロッテマリーンズという球団のために一肌脱いでくれるであろう、我らが里崎智也の、よそでは読めない本音トークに刮目せよ!!

2014/12/27

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「サトさんは特別」は逃げ口上でしかない!?

──それほどまでに、プロとしての”哲学”をお持ちの里崎さんがいたにもかかわらず、その精神があとに続く若手に受け継がれて行かないのは、なぜなんでしょう?

里崎 僕がこういうことを言うてると、まわりはすぐ言うんですよ。「サトさんは特別やから」って。これって、野球界ではわりと常套句で、たとえば、一般的なセオリーとは違う方法論で結果を残す選手が出てきたときなんかには、コーチやまわりが「あいつは特別やから」って絶対言う。そういうときの「特別」には、「あんなやり方は間違ってるけど、あいつは特別やからできるんや。マネすんなよ」っていう、ネガティブな意味合いが含まれているわけです。自分らの枠の外にあることは、ぜんぶ「特別やから」で済まして、いいところを探そうとしない。僕に対する「サトさんは特別」も、それと同じなんですね。

──そこで「マネしよう」にはならないと。

里崎 もちろん、人には向き不向きがありますから、同じようにやれとは思いませんけど、少なくとも考えることだけはするべきやと思うんですけどね。自分にできそうなことだけをやってたら、そりゃ、楽でいいけど、そこに甘んじているうちは底も知れてるし、伸びしろだって出てこない。だいたい、僕の言うてることは、自分がその気になって努力をしさえすれば、どうにでもできることばかり。努力しただけではどうにもならないイチローさんになろうとするのとは、わけが違いますからね。

──ファンとしては、ぜひ後継者に出現してほしいところですが、今や神がかっていた05年の日本一を知るメンバーも、野手では福浦和也選手、サブロー選手と、今江敏晃選手ぐらい。あの頃の興奮をもう一度……というのも、なかなか難しそうですね。

里崎 ハッキリ言って、現状ではあの頃のようにはなり得ないと思います。05年はそれこそ、若手からベテランまで幅広い世代がバランスよく活躍していて、そこには「カッコよくありたい」タイプもいれば、ストイックでマジメな職人タイプや、イケイケのエンターテイナータイプもいる、バラエティ豊かな集団でした。それと比べると今のチームには、世代もキャラも似かよった選手がかなり多い。それぞれのキャラクターの個性という意味では、ちょっと面白味には欠けるかなって気がしますよね。

2015年シーズンは、まずスローガンに注目!?

──だとしたら、ファンは来るべき2015年シーズンのどこに注目すればよいですかね?

里崎 個人的にはひそかに注目していることがあるんですけど、ここではまだ言えないです(笑)。ファンの人たちが一番心配していたデスパイネの残留も決まったし、あとは成瀬(善久)に代わるピッチャーの補強がしっかりできれば、カタチにはなると思いますけどね。

──ファンとしては、なかなか不安いっぱいの「ゴールデンイヤー」になりそうです。

里崎 まぁ、そこは否定できません(笑)。でも、「下克上」にしたってそうですけど、言った僕自身が、できたらラッキーぐらいにしか思ってないですから。「下克上」は、結果的に達成したから、あれだけ騒がれましたけど、もしできなかったところで、そのうち忘れ去られただけのこと。要は言ったもん勝ちなんです。なのに、多くの人はそれを、もし自分が言ってできなかったら責められる、責任取らされると思い込んで、言おうとしない。僕からしたら、そんな風が吹いたら飛ぶような選手ひとりの責任、誰もいらんってことなんです。

──確かに、あのひと言でファンは「魅了」されましたし、来季も応援するぞって気になりました。

里崎 でしょ? あっ、でも「ゴールデンイヤー」って使うときには、「21世紀以降」って前置きするのも忘れちゃダメですよ。それを入れるかどうかで、意味が大きく変わってきますから(笑)。

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里崎智也(さとざき・ともや)
1976年5月20日生まれ。徳島県鳴門市。鳴門工、帝京大学を経て98年のドラフト会議で、千葉ロッテマリーンズから2位指名され、入団する。2003年に78試合ながら打率3割をマークし、レギュラー定着の足掛かりをつくる。2005年は橋本将との併用ながらも、日本一に貢献。特にプレーオフのソフトバンク戦で馬原投手(現オリックス)から日本シリーズ進出を決める値千金の決勝タイムリーや、2010年のクライマックスシリーズファーストステージの西武戦では故障明けのぶっつけ本番で初戦は9回の同点タイムリー、2戦目は9回に長田から起死回生の同点弾と、大舞台で無類の勝負強さを発揮した。2006年にはWBC日本代表として世界一に輝く。2000年代、千葉ロッテを支えた扇の要であり、〝歌って、踊って、打ちまくる〟エンターテイナーはファンから愛された。

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