球団史上最高勝率でセ制覇した2016年広島東洋カープ。日本一になった1984年との共通点【広尾晃の「ネタになる記録ばなし」】
ブログ「野球の記録で話したい」を運営中で『プロ野球解説者を解説する』(イーストプレス刊)の著者でもある広尾晃氏。当WEBサイトでは、MLBとNPBの記録をテーマに、週2回、野球ファンがいつもと違う視点で野球を楽しめるコラムを提供していく。今回は、1984年のカープと、2016年のカープを比較してみた。
2016/10/22
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山根、北別府、川口、大野ら20代の先発投手が躍動。救援の小林がフル回転
次に投手陣を見比べてみよう。先発登板上位6人と、救援登板上位7人。
1984年の広島投手陣は、初優勝当時のエースだった外木場義郎や佐伯和司などが姿を消し、山根和夫、北別府学、川口和久、大野豊と20代の投手が先発の柱となっている。
のちに非業の死を遂げる「炎のストッパー」津田恒実もまだ先発投手だった。
投手陣の隠れた主役は小林誠二だった。救援投手だったが規定投球回数に達し、防御率のタイトルを取っている。2イニング以上のロングリリーフも当たり前。今では考えられない大車輪の活躍で、優勝に貢献した。
先発3本柱確率、勝利の方程式が盤石
2015年オフに絶対的なエース前田健太がMLBに移籍し、2016年の広島は前年MLBから復帰した41歳の黒田博樹以外は柱となる投手がいないと言われていたが、27歳の野村祐輔が最多勝、最高勝率。黒田、防御率2位のジョンソンとともに、ローテーションの柱となった。他の先発投手はシーズン通じて活躍できなかったが、3本柱が確立できたことが大きかった。
今年の広島の売りは、充実した救援陣。今村、ジャクソン、ヘーゲンズという優秀なセットアッパー陣が、クローザーの中﨑翔太につなぐ「勝利の方程式」を作った。
1984年に小林誠二が、一人で担ったパートを4人で受け持ったというところか。
1984年と2016年では投手の起用法が大きく違うことがわかる。
32年の歳月は、日本のプロ野球のスタイルを大きく変えた。
しかし、1984年と2016年の広島カープは「レジェンドというべきベテランと、若手のコンビネーションで白星を積み上げてきた」という共通点がある。
1984年の広島は7戦までもつれた末に、4勝3敗でパの覇者、阪急ブレーブスを下している。32年後の後輩たちは、どんな戦い方をするだろうか。