今オフの巨人FA戦略は? 90年代はセパ3球団の4番、00年以降は「優勝請負人」を積極補強
2位に終わった巨人にとって、ドラフトだけでなくFAも戦力補強の有効策だ。これまで多くのFA選手を獲得してきたが、果たして今オフはどう動くのだろうか。
2016/11/07
90年代は落合、広沢、清原と他球団の4番を獲得
93年オフから導入されたFA制度は、さまざまなドラマを生んできた。期待通り活躍した選手もいれば、結果を求めるあまりプレッシャーに押しつぶされた選手もいる。
豊富な資金力と常に勝つことが求められてきた巨人は、FA制度を利用してこれまで20人の選手を獲得してきた。主な選手たちを紹介していく。
巨人がFAで獲得した選手を年代順に並べると以下の通りだ。
1990年代
落合博満、川口和久、広沢克己、河野博文、清原和博
2000年代
工藤公康、江藤智、前田幸長、野口茂樹、豊田清、小笠原道大、門倉健
2010年代
藤井秀悟、村田修一、杉内俊哉、大竹寛、片岡治大、相川亮二、金城龍彦、脇谷亮太
※各年代は移籍1年目を表す
巨人が初めてFAで選手を獲得したのは、93年オフの落合博満(当時・中日)だった。この年の12月に40歳になった落合だったが、憧れだった当時の長嶋茂雄監督に迎えられ、入団を果たした。91、92、93年と3年連続でリーグ優勝を逃した巨人は、FA制度を積極的に活用する。
3度の三冠王やセパ両リーグ200本塁打と数々の実績を引っ提げ、巨人移籍1年目の94年は129試合に出場。打率.280、15本塁打、68打点という成績に終わったが、中日との同率最終決戦となった「10・8決戦」では、今中慎二から右中間席へ先制のソロ本塁打を放ち、チームをリーグ優勝に導いた。
41歳で迎えた翌年の95年は、117試合に出場してリーグ4位の打率.311という成績を挙げ、96年は通算500号本塁打と1500打点(共にプロ野球史上7人目)を達成した。この年のオフに日本ハムファイターズへ移籍するまで、主軸としてチームをけん引し続けた。
96年オフには、その落合と入れ替わるかたちで西武ライオンズから清原和博が入団。「常勝西武」の4番は、憧れだった巨人入りを実現させた。移籍1年目の97年は130試合に出場して打率.249、32本塁打、95打点を挙げたが、三振は当時のワースト記録となる152三振を喫した。
人気球団ゆえのプレッシャーや、期待の大きさからバッシングも多かった。それでも01年にはキャリアハイの121打点を挙げ、持ち前の勝負強さを発揮。04年には2000本安打も達成している。05年オフには巨人を自由契約となり、オリックス・バファローズへ移籍。喜びと苦しみを味わった巨人での9年間だった。
90年代は落合、清原の他に、94年オフに広島東洋カープから川口和久、ヤクルトスワローズから広沢克己を獲得したが、共に期待外れの成績に終わる。川口は巨人在籍4年間で8勝しか挙げられず、98年に引退。広沢は巨人に5年間在籍。移籍1年目こそ全試合に出場したが打率.240。99年はわずか16試合の出場で打率.143に終わり、自由契約で阪神に移籍した。