クロマティ監督の采配以前の根本的な問題――「チーム自体がプロレベルではなかった」【『サムライ・ベアーズ』の戦い#3】
皆さんは、かつて巨人で活躍したクロマティが、アメリカの独立リーグで日本人だけのチームの指揮官として戦っていたことをご存じだろうか。そのチームは『ジャパン・サムライ・ベアーズ』と名づけられた。
2017/01/20
阿佐智
クビは仕方がない
南をサムライ・ベアーズに導いた根鈴も、比較的冷めた目で、監督・クロマティを見ていた。法政大学卒業後、単身渡米、モントリオール・エクスポズ(現ワシントン・ナショナルズ)の3Aまで上り詰め、あのイチローがメジャーに挑戦した2001年、同じようにメジャーキャンプに参加し、オープン戦で4割を打ちながらも、リリースされた経験をもつこの男は、当時、独立リーグを転々とする生活を送っていた。
「俺はね、自分で売り込んだの。それで、コーチ兼任ということだったので、入団を決めたんですよ。キャリア的にもメンバーで一番上だったし、ましてや、監督がクロマティでしょ。通訳的なこともできるだろうから、やらしてくれって。チームの仕掛人のひとりが先輩の江本さんということもあって、ナンチャン(南)にも声かけて、選手集めもしたんです」
戦力外通告について尋ねると根鈴は明快に答えた。
「クビは仕方ないと思いますよ。プロなんだから。でも、試合中にあれはないよな、って。クロマティだけが感情的になってさ。監督の采配で負け続けるって、やっぱりストレスがたまる。そういうことですよ。実際、シーズン最後に監督が交代して、そのあとは強かったわけだから」
実際のところ、クロマティの怒りの矛先は、主力選手ではなく、控え選手に向けられることが多かった。だから主力選手の多くは、クロマティに失望はしたものの、直接軋轢が生じたわけでもない。要するに世界のトップレベルでプレーしてきたクロマティは、プロ未満の選手たちの拙いプレーに目をつぶる忍耐力をもち合わせていなかったのだ。試合中、ベンチにいることの多い控え選手たちは、ゲームの間じゅう、びくびくしながら出番を待っていたという。
「でもね」
ブルペンの中心だった矢島正徳は野球人らしくこう言う。彼は社会人野球の強豪、シダックスであの野村克也の薫陶を受けていた。
「それでも監督は監督なんですよね。クロマティのことを信頼しているやつはいなかったけど、コーチの堀井さんや佐藤さん、トレーナーのタカさん(友広隆行)は信望がありましたね。でも最初だけでしたよ、監督が気になったのは。だって、あんまり気にしてちゃ野球できないですから」