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阪神・藤川球児がNPB通算1000奪三振を達成。JFK時代の2005~2007年には376奪三振

2017/05/31

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 阪神タイガースの藤川球児投手は、30日の千葉ロッテマリーンズ戦で8点リードの9回に5番手として登板。先頭の角中勝也から見逃し三振を奪い、NPB通算1000奪三振を達成した。また、この試合では井口資仁からも空振り三振を奪い、記録を1001に伸ばした。
 
 藤川が初めて三振を奪ったのは、2000年3月31日の横浜ベイスターズ(当時)戦で谷繁元信から奪ったものが最初であり、14年をかけての達成となった。
 
 本格的に中継ぎ転向した2004年までは先発として登板することもあった藤川。そして、大ブレークを果たした2005年には球威ある速球、フォーク・カーブを武器に80登板で92回1/3を投げ7勝1敗1セーブ、46ホールド、139奪三振、20四球、防御率1.36という成績で阪神の日本シリーズ進出に貢献した。
 
その後も藤川はジェフ・ウィリアムス、久保田智之と共に勝利の方程式「JFK」の一角として活躍し、2005~2007年には救援投手ながら100以上の奪三振を記録。この3年間で254回2/3を投げ、376奪三振で奪三振率は13.3と驚異的なペースで三振を量産し、先発投手に匹敵するほどの奪三振数を記録していた。また、2009年のJFK解体後も、藤川はクローザーとしてイニング数を上回る三振を奪い続けてきた。
 
 そして、2012年オフにメジャーリーグ挑戦を果たした藤川だったが、米国ではトミー・ジョン手術を受けるなど故障に苦しみ、2015年にテキサス・レンジャーズから戦力外通告を受けると、同年6月から独立リーグに所属し、2016年シーズンから阪神に復帰した。
 
 2016年シーズンは先発でシーズン開幕を迎えたが、不振で5月中旬からは中継ぎに配置転換。クローザーやセットアッパーなど、様々な場面で登板したが、往年の安定感は見られず、5勝6敗、3セーブ、10ホールドで防御率4.60と不本意な成績に終わった。しかし、奪三振は投球回の62回2/3を上回る70を記録しており、奪三振能力は依然として高いことを見せつけた。
 
 今季、藤川は16登板で17回1/3を投げ、1勝0敗0セーブ、0ホールド、17奪三振、7四球、防御率3.12という成績を残している。抑えのドリス、セットアッパーのマテオ、好調の桑原・高橋・岩崎の存在もあり、今季は点差が開いた場面などでの登板が目立つが、16登板はチーム6位と陰ながら存在感を放っている。
 
 全盛期の直球は鳴りを潜めてしまったが、7月で37歳を迎える経験豊富なベテラン右腕は、今後も阪神ブルペン陣に必要な存在であることは間違いないだろう。