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大越基、ドラフト1位の肖像#1――「元木の金属バットをへし折る!」 人生を変えた高3夏の準V

かつて「ドラフト1位」でプロに入団した選手1人の野球人生をクローズアップする。華やかな世界として脚光を浴びる一方で、現役生活では「ドラフト1位」という肩書に苦悩し、厳しさも味わった。その選手にとって、果たしてプロ野球という世界はどのようなものだったのだろうか。(2017年6月2日配信分、再掲載)

2020/05/02

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田崎健太



運命的な出会い

 仙台育英高校は仙台駅の近く、宮城球場の隣にあった。七ヶ浜に住んでいた頃、宮城球場に野球を観に行ったことがあった。高校を取り囲む塀に、成人向けの漫画誌が捨てられており、すさんだ雰囲気だと子ども心ながら感じていたのだ。
 
 新幹線の時間までまだあるから行こう、大越は父親に引っ張られる形で仙台育英の練習場に足を踏み入れた――。
 
(何? この空間は?)
 
 思わず大越は心の中で叫んでいた。
 
「秋季大会で負けているのに、気合いが入った練習をしているんです。熱気があって、そこに吸い込まれてしまった。これは凄い。自分が求めていたものだ、と」
 
 気がつくと大越はバックネット裏で金網にしがみついて練習を見ていた。そして、眼に入った投球練習場に引きつけられるように歩いていた。
 
 そんな大越に男が声を掛けた。
 
「君、どこから来たんだ」
「青森県の八戸です」
 
 大越が答えると矢継ぎ早に質問された。
 
「ポジションは?」
「ピッチャーです」
「ちょっと投げてみるか?」

 仙台育英高校野球部の監督、竹田利秋だった。
 この竹田こそ、東北高校野球部を東北屈指の名門校へと鍛え上げた監督だった。竹田は85年から仙台育英に移っていたことを大越は知らなかった。
 
「練習見ていてアドレナリンが相当出ていたんでしょうね。立ち投げだったんですけれど、キャッチャーのミットがしなるぐらい速い球が投げられた。監督の顔をみたら、うわっみたいな感じになっていた。心の中で、来たーって言ってましたね」
 
 竹田は大越を監督室に呼び寄せると、書類に連絡先などを書かせた。
 
「親父は、新幹線の時間がある、もう時間がないって言っていたんですけれど、ぶわっと書いて駅に向かいました」
 
 家に向かう新幹線の中で大越は仙台育英で野球をやることを決心していた。

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