日ハム村田透が貫き続けたハングリー精神。元Gドラ1が古巣戦で見せた“リベンジ魂”
北海道日本ハムファイターズの村田透投手は12日、古巣・読売ジャイアンツ戦でプロ初勝利を挙げた。ドラフト1位で入団するも登板機会に恵まれず悔しい思いをしてきた村田は今も、「ハングリー精神」をむきだしに新天地で奮闘している。
2017/06/13
ドラ1入団も一軍昇格なく異例の3年で解雇
32歳のオールドルーキーが力投した。
北海道日本ハムファイターズの村田透投手が11日の巨人戦(札幌ドーム)で先発し、5回6安打1失点でプロ初白星を飾った。2007年大学生・社会人ドラフト1巡目で指名されて入団したものの、一軍登板がないまま2010年に戦力外通告を受けた古巣を相手に強烈なしっぺ返し。このG3連戦で10打数7安打2本塁打と打棒を爆発させた前巨人・大田泰示外野手とともに、かつての所属チームであるジャイアンツを粉砕したニュースは強烈なインパクトを与えた。
村田は巨人を相手にプロ初勝利をマークした直後、ヒーローインタビューで涙ながらに巨人にも感謝の気持ちを口にしていたが、まず間違いなく内心はリベンジ魂でいっぱいだったはずだ。
筆者は村田が巨人を事実上の解雇となった当時のことを鮮明に覚えている。
巨人ドラフト1位入団の選手である村田が一軍から一度もお呼びがかからないまま、わずか3年で解雇――。これは2010年オフ、当時のメディアの間でも「非常事態」に引っ掛けて「巨人の〝非情〟事態」と報じ、大きな話題になっていた。
“ドラ1入団の選手ならば、たとえ芽が出なくても5~6年は我慢して契約する”というのが、プロ野球界の暗黙のルール。もしそれを反故にしてしまったら、その球団はドラフト候補選手や所属先チームから後々敬遠されてしまう可能性も出てくるからだ。
にも関わらず巨人はたった3年で、しかも一度も一軍へ昇格させずに村田をアッサリとクビにしてしまった。このケースは確かに異例中の異例といってもいい処遇だった。
想定すらしていなかった解雇を球団側から通達された直後の村田は明らかに失意のどん底に陥っていた。だが、その後は周囲の勧めもあって気持ちを何とか切り替え、12球団の合同トライアウトを受験。そこでは集まっていた多くのメディアを前にしてぶ然とした表情で「(巨人では)ファームでもほとんどチャンスをもらえませんでした。正直、納得していません。『育成の巨人』というなら、もう少しチャンスが欲しかったですね。そう思っています」と怒りをぶちまけ、心の奥底に溜まっていたうっ憤を晴らした。
これに激怒したのが、当時の巨人球団幹部だった。仮にトライアウトでどこからも声がかからず再就職先が見つからなかった場合は村田に球団職員としての再雇用の道を用意していたそうだが、村田の本音をニュースで見聞きし、すぐさま白紙撤回。だが、逆にその話を伝え聞いた村田も謝罪することなく〝ああそうですか〟と受け入れ、サバサバして吹っ切れた様子だったという。
もともと根が真面目で愚直なぐらいに真っ直ぐな性格の持ち主。だから自分にウソをつき、相手に媚びてまで生き抜いていこうというつもりはなかったのだろう。
プロの世界に入って、まだ一度も光の当たるマウンドに立てていない。だから絶対に立ちたい。そしてそのマウンドに立って、自分をここまで支えてくれた人たちに恩返しをしたい。あの時に評価してくれなかった球団幹部をギャフンと言わせたい――。そんなリベンジ魂を燃やしていた村田に手を差し伸べたのが、クリーブランド・インディアンスだった。