日ハム村田透が貫き続けたハングリー精神。元Gドラ1が古巣戦で見せた“リベンジ魂”
北海道日本ハムファイターズの村田透投手は12日、古巣・読売ジャイアンツ戦でプロ初勝利を挙げた。ドラフト1位で入団するも登板機会に恵まれず悔しい思いをしてきた村田は今も、「ハングリー精神」をむきだしに新天地で奮闘している。
2017/06/13
自分からチャンスを手放すようなことは絶対にしない
インディアンスとマイナー契約を結んだ村田は当時25歳。日本で実績がないままのメジャー挑戦は想像を絶するイバラの道だった。右も左も分からないところで通訳もつかず、コミュニケーションすらままならない。ましてや村田が最初に加わった2Aは傘下マイナーの中でトップチームの3A以上に厳しい環境下。「他人を蹴落としてでも上を目指す」という意識の強い連中が周囲にゴロゴロいる。言葉が出来ない苦しみだけでなく、その上に一部のチームメートから嫌がらせを受けるなど見えないところで多くの障壁が立ちはだかっていた。
だが、それでも村田は屈しなかった。どんなに辛くとも、苦しくとも自分からギブアップだけはしない――。それが自身の信念だからだ。こうした持ち前の真面目さと我慢強さで信念を貫き、チャンスをつかんだのである。渡米当初は「中学生レベルと言えるかどうか」と打ち明けて悩みの種だった英語力も荒波にもまれたおかげですっかり向上。陰湿なイジメにも屈さなかった逞しき精神力によって急速に進化し、ほとんど不自由なく会話できるレベルにまで上達した。
今から2年前、2015年6月28日の敵地ボルティモア・オリオールズ戦で村田は悲願のメジャー初昇格を果たした。ダブルヘッダーの第2試合に登板し、3回1/3を投げて2本塁打を含む4安打5失点(自責3)2奪三振1四球。味方内野陣の失策から失点する不運な流れもあったとはいえ、2者連続で本塁打を浴びるなど厳し過ぎる〝メジャーの洗礼〟を浴びせられた格好だった。
それでも試合後の村田は目を輝かせながら次のように語っていた。
「(試合前は)やってやるぞ、とそれだけでした。米国へ来て5年目…打たれたのは自分の力不足だと思っていたけれど、思っていた以上に平常心でやれたかなと思います」
敗戦の弁を口にしながらも実に清々しい表情を浮かべていたのが印象的だった。かつて巨人をクビになった男が文字通り「裸一貫」でつかんだメジャーデビュー。この頃に「こういうハングリー精神旺盛なタイプの選手こそ、本当は巨人に必要なはずなのになあ」と思ったことを昨日の出来事のように思い出す。
ちなみに日本ハムの栗山英樹監督も今、この村田について「彼の持つハングリー精神を若い選手たちもぜひ吸収してほしい」と語っている。
投打ともに深刻な低迷にさいなまれる巨人側からは「あの時、村田を戦力外通告にしていなければ今ごろは…」と後悔する声も上がっているが、それももう後の祭り。北の大地で大田とともに今後ますます躍動し、古巣ジャイアンツに地団駄を踏ませてほしい。