古木克明、ドラフト1位の肖像#3――守備の不安消えず。三塁か外野か、一貫しなかった方針
かつて「ドラフト1位」でプロに入団した選手1人の野球人生をクローズアップする。華やかな世界として脚光を浴びる一方で、現役生活では「ドラフト1位」という肩書に苦悩し、厳しさも味わった。その選手にとって、果たしてプロ野球という世界はどのようなものだったのだろうか。
2017/09/21
プロ野球生活が短くなってしまった理由
2007年シーズン終了後、古木はトレードを志願し、オリックス・バファローズに移籍。しかし、ここでも出場機会を掴むことができなかった。バファローズには、タフィ・ローズ、アレックス・カブレラ、グレッグ・ラロッカなどの強打者が揃っていたのだ。2009年シーズン終了後、古木は戦力外通告を受けた。
その後、古木は格闘家として2試合戦ったあと、再び野球に戻りアメリカ独立リーグのパシフィック・アソシエーションの『ハワイ・スターズ』でプレー、2013年シーズン終了後に二度目の引退をした。2014年4月からは事業構想大学院大学の大学院に進学、アスリートのセカンドキャリアを研究し、2016年3月に卒業している。現在は『ベースボール・サーファー』という活動を始めているという。
このベースボール・サーファーについて簡潔に教えてもらえますかと言うと、古木はしどろもどろになった。
「野球教室をやったり、Tシャツを作ったりしてます……。今の段階だとアパレルをやりたいのかって言われるんですけれど、そうじゃないんです」
そして、こう付け加えた。
「どこに着地点があるのか自分自身でも見えてないんです。上手く言えないんですけれど、野球というものを大きな視野で捉えて変えていきたいんです」
古木は恵まれた体で、足も速い。ボールを遠くに飛ばす才能も持っていた。本来ならばドラフト1位に相応しく、日本を代表する長距離打者になってもおかしくなかった。プロ野球選手として大成しなかった理由を今、どう分析しているのか、と問うてみた。
「ぼく、ちょっとしたことがすごく気になってしまう性格なんですよ。それで時に大切なことを見失ってしまう。バッティングもそうでした。生真面目すぎたのかもしれない。もっと細かいことはどうでもいいや、人から怒られてぶん殴られてもいいや、という感じで割り切れる性格だったら、ぼくは成功していたと思いますよ」
少し考えた後、こう付け加えた。
「殻を破れなかったのは、周りを見えなかった。自分が練習すれば良くなると思い込んでいた。相手投手からみたら、どんなバッティングが嫌なんだろう、どんな風に配球を組み立てているんだろうって考えたことがなかった。そこに早く気がつけば、長く野球を出来ていた」
そういうことを教えてくれる人と出会わなかった巡り合わせもあるかもしれませんねと、古木は静かな声で言った。
【つづきは書籍で】
古木克明(ふるき・かつあき)
1980年11月10日、三重県出身。豊田大谷高校2、3年時に夏の甲子園に出場(3年時はベスト4)。左の強打者としてドラフト候補にリストアップされ、1998年度ドラフト会議にて横浜ベイスターズから1位指名を受けて入団。03年には、自己最多の22本塁打をマークした。08年にオリックス・バファローズへ移籍し、09年シーズン終了後に現役引退。引退後は格闘家に転身し、注目を集めた。その後、再度球界復帰を目指して13年に米独立リーグのハワイ・スターズに入団(1年のみプレー後に引退)。2014年1月にプロアスリートとしては初となる復興支援活動を伴う一般社団法人スポーツFプロジェクト(SFP)を設立。事業の傍ら、2014年4月から事業構想大学院大学の大学院生としてアスリートのセカンドキャリアの研究し、MPD(事業構想修士)を取得するなど活動の幅を広げている。
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辻内崇伸、ドラフト1位の肖像――「大阪桐蔭に入学した時、僕は平民以下の存在だった」【連載第1回】
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【書籍紹介】
『ドライチ』 田崎健太著
四六判(P272)1700円 2017年10月5日発売
甲子園フィーバー、メディア過熱報道、即戦力としての重圧……
僕はなぜプロで”通用しなかった”のか
僕はなぜプロで”通用した”のか
ドラ1戦士が明かす、プロ野球人生『選択の明暗』
<収録選手>
CASE1 辻内崇伸(05年高校生ドラフト1巡目 読売ジャイアンツ)
CASE2 多田野数人(07年大学生・社会人ドラフト1位 北海道日本ハムファイターズ)
CASE3 的場寛一(99年ドラフト1位 阪神タイガース)
CASE4 古木克明(98年ドラフト1位 横浜ベイスターズ)
CASE5 大越基(92年ドラフト1位 福岡ダイエーホークス)
CASE6 元木大介(90年ドラフト1位 読売ジャイアンツ)
CASE7 前田幸長(88年ドラフト1位 ロッテオリオンズ)
CASE8 荒木大輔(82年ドラフト1位 ヤクルトスワローズ)
ドラ1の宿命、自分の扱いは『異常だった』(辻内崇伸)
笑顔なき記者会見「なんでロッテなんだ、西武は何をやっているんだ」(前田幸長)
好きな球団で野球をやることが両親への恩返し。その思いを貫きたかった(元木大介)
困惑のドラ1指名。「プロ野球選手だったという感覚は全くない」(大越基)
ぼくは出過ぎた杭になれなかった。実力がなかった(的場寛一)
自分が1位指名されたときは涙なんか出ませんでしたよ(多田野数人)
頑張れって球場とかで言われますよね。これが皮肉に聞こえてくるんです(古木克明)
指名された時、プロへ行く気はなかった。0パーセントです(荒木大輔)