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元阪神・林威助、引退を決断。黄色と黒に彩られた日本と台湾での15年間

元阪神タイガースで、台湾プロ野球の中信兄弟でプレーする林威助外野手が今季限りでの引退を表明した。現在、開催されている2軍優勝決定シリーズの後、そのユニホームを脱ぐ。

2017/09/29

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中華職業棒球連盟



黄色と黒に彩られた野球人生

 台湾・屏東県の球場で27日、台湾プロ野球の2軍優勝決定シリーズ第2戦が行われた。25日に引退宣言をした元阪神の林威助外野手は、二塁打を放ち、五回には本塁打も飛び出した。台湾メディアは、先日引退試合を行った千葉ロッテマリーンズの井口資仁内野手を引き合いに出し、最後の試合で躍動する林を高く評価した。
 
 阪神時代から中信兄弟までの15年間、林のプロ野球人生は常に黄色と黒色で彩られていた。礼儀正しく、誰に対しても優しい笑顔を向ける林。このシリーズ後、その慣れ親しんだ色合いのユニホームを脱ぐ。
 
 座右の銘は「一球撃命」。本塁打を放った林に対して、試合を中継していたアナウンサーは思わず「まだまだやる気もあるし、引退は早いのでは」と話し、ネット上でも同様の意見が続出した。しかし、台湾プロ野球はわずか4チーム。若い選手の台頭も目覚ましく、38歳の林が活躍する機会は少なくなってきた。
 
 1979年生まれの林は、96年に柳川高校(福岡)に野球留学した。17歳だった。自らの夢を追うために厳しい高校野球の練習に耐えたが、言葉の壁に悩まされ「台湾に帰りたい」と何度も思ったという。しかし、2年夏には福岡大会の決勝に進出。3年次は年齢制限で公式戦には出場できなかったが、プロ野球選手を目指す決意を固めていた。
 
 近畿大学に入学し、関西学生野球連盟のベストナインも獲得した林は、2002年度ドラフト7位で阪神タイガースに入団。日本に野球留学し、日本のプロ野球に進んだ戦後初の台湾出身者として、後進に与えた影響の大きさは計り知れない。
 
 1年目は故障で出場できなかったが、2年目には初安打・初打点、3年目に初本塁打を記録した。07年は開幕から代打での出場が主だったが、濱中治外野手がけがで離脱して以降はレギュラーに定着。この頃、巨人の姜建銘投手も活躍し、台湾に「セ・リーグ熱」を巻き起こした。その年、林は15本塁打58打点という自身最高の成績を残した。

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