多田野数人らしい引退セレモニー。「思うようにならなかった球歴」こそ大きな財産【えのきどいちろうのファイターズチャンネル#71】
北海道が荒天の日、多田野数人の引退セレモニーが行われた。日米での野球経験を生かして第2の人生を古巣・ファイターズで歩み出す。
2018/03/12
紆余曲折の野球人生
多田野の野球人生は思わぬことの連続だったと思う。まず有名な話である。立教大時代にアルバイト感覚で出演したビデオがプロ入りの予定を狂わせた。ドラ1指名有力だったセの球団が指名を見送った。多田野は米球界挑戦を目指すことになる。数球団の入団テストを受け、クリーブランド・インディアンスに合格、マイナー契約を結ぶ。ルーキーシーズンは1Aで始まり3Aまで昇格した。翌2004年はコールアップされ、メジャーリーガーに昇格、7月にはシンシナティ戦で初先発初勝利を挙げている。といってメジャーでの勝利はこの1勝だけだ。2005年は1試合の登板のみ、2006年戦力外通告を受ける。
まぁ、しかし米球界挑戦は華やかな印象だ。日本のドラ1よりメジャー経験のほうが派手なんじゃないか。実際に華やかな世界を垣間見たのは間違いない。が、苦しかったらしい。米球界は男性原理の社会だ。ゲイビデオに出演していたことは差別される。特にマイナー時代はロッカーが荒らされ、イジメを受けた。多田野は記者会見を開かねばならなかった。「若き日のたった一度の過ちだった。自分はゲイではない」と語った。何てむなしい会見だろうか。多田野はアメリカで最高の経験と最悪の体験を両方味わった。
僕は多田野がファイターズに来るんじゃないかと想像していた。実は森本稀哲の実家、日暮里の焼肉「絵理花」(今は閉店)に、ファイターズの球団関係者と「インディアンスの多田野選手」が会食に訪れていたのだ。僕は絵理花の常連客とツーカーだった。そんな情報は筒抜けだ。といっても情報を切り売りするタイプのライター業じゃないから、おお、そんなのが決まったら面白いなぁと思ってただけだ。なーんも役立てなかった。そういうことにまるで関心がない。
案の定、2007年ドラフト(大学・社会人)でファイターズ入りが決まる。まわり道したけれど、NPBの1巡目指名選手だ。米球界でつかみ取ったものを生かすチャンスだ。多田野は心中、期するものがあったろう。が、またアクシデントだ。1月自主トレで都内をランニング中、転倒、左手首を骨折する。1月中旬に手術になった。大事なNPBデビューにいきなり出遅れる。このシーズンはリハビリに2ヶ月以上費やし、5月の楽天戦でやっと1軍デビューを果たす。これがMLB同様、初先発初勝利だった。不思議な選手だ。持ってないかと思うと持ってるんだなぁ。だけど、キャンプを棒に振ったツケがシーズン後半にやって来る。夏場以降さっぱりだった。
僕はこの2008年シーズン、多田野がNPBで初めて投じた超スローボールを生で目撃している。ラストイヤーの広島市民球場だ。6月18日、打者はスコット・シーボル。1ボール2ストライクからの4球目、ボールが重力を離れ、上空へ浮かんだ。そして、すーっと落ちてきて、シーボルがこれを引っかける。ショートゴロ。球場がどよめいた。この試合、多田野は広島・前田健太に投げ負ける(マエケンNPB初勝利!)のだが、僕はすごいもんが見れたと大満足だった。あれが見れたのはやっぱり縁があるんだろう。
超スローボールで現役に別れ
その後、多田野は2009年に9回2死までノーヒットノーランを続けて、ロッテ大松尚逸に記録阻止される。2010年にはいったん戦力外通告を受け、その年のうちにやっぱり再契約ということになる。それから有名なのは2012年、日本シリーズの巨人・加藤健への危険球退場だ。あの球はぜんぜん加藤に当たっていなかった。憮然とした表情でマウンドを降りる多田野の姿が忘れられない。いずれも思うようにならない球歴の真骨頂じゃないだろうか。
BCリーグ・石川ミリオンスターズの投手兼任コーチとして現役を終え、今年から「統括本部プロスカウト」としてハムに戻ってくることになった。だからファイターズのユニホームを着ての引退セレモニーが実現したのだ。久々に札幌ドームのマウンドに立った多田野はにこやかだった。もちろん自慢の超スローボールを投じた。僕は実況席で拍手だ。
「思うようにならない球歴」はきっと彼の財産になる。気づけば日米のトップリーグとマイナーリーグを経験し、多くの人脈を持ち、野球を見る目を養った。逆風のなかで闘ったことも必ず身になる。まわり道は彼の経験値を高めたはずだ。それを第二の人生で生かしてほしい。
札幌ドームの外が大荒れの日、多田野数人はそのキャリアにけじめをつけた。おつかれ様。ありがとう。おかえり。札幌ドームの中は温かい拍手と声援に包まれていた。
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