吉田輝星、理想のビジョンはマエケン曲線? 「早く見たい」よりも「長く見たい」選手として育成を
北海道日本ハムファイターズの吉田輝星投手が12日、対外試合デビューを果たした。キレのあるストレートを武器に1回を無失点に抑える好投をみせたが、即1軍というわけではない。ゴールデンルーキーの理想となる育成ビジョンは、メジャーリーガー前田健太投手が歩んだ軌跡にある。
2019/03/13
4年目の沢村賞へ、下積みからスタートした前田
PL学園高時代の前田はストレートの球速が140キロ後半を計測していたが、変化球の球種は少なかった。真縦のカーブとストレートで勝負するタイプで、今ほどの多彩な変化球はなかった。広島の全盛時代の前田だとスライダーのイメージがあるが、実は、プロ入り後に習得した球であるのだ。
スライダーを投げようとすると、体が横ぶりになり、ストレートに悪影響を及ぼす。高校時代の前田は、慎重にピッチングスタイルを作り上げていたのだ。
そんな前田がプロ入り後に順調な成長曲線を歩んだ背景には、じっくりと下積みを経験できたというのがある。
前田は入団1年目、1軍の経験がない。
力が全くなかったわけではなく、ファームではしっかりとローテーションを回っていて、20試合に登板、5勝をあげている。103イニング登板を果たすほどで、シーズン中、1軍練習に参加するなど早々のデビューを推す声もあったそうだが、当時の1軍監督だったマーティ・ブラウンがデビューを急がせなかったという話もある。
前田にとって、当時の監督が育成には繊細な国の出身者であったことは恵まれたといえるだろう。デビューを無下に早めることがなかったために、じっくりと研鑽を積めたのだ。そして、前田にチェンジアップを教えたのも、ブラウンだったりする。
2年目の前田は、1軍デビューを果たすも、イニング数が前年とほぼ変わらず、109回2/3だ。もちろん、2軍で投げるのとはワケが違うが、19試合を投げて9勝2敗という成績からもわかるように、実力がありながらも、うまく間隔を取りながらの登板機会だったのだ。
そして、3年目からはフル回転でローテーションを回った。29試合に投げて、8勝14敗。193回を投げた。勝負所で屈する苦しいシーズンではあったが、ローテーションを1年間守ったことで、彼なりの財産ができて、次のシーズンにつなげたのだ。
そして4年目の大ブレーク。28試合に先発して、15勝8敗。投手三冠を達成して、沢村賞を獲得したのである。
前田は名門のPL学園で鳴らしたこともあって、少々のきつい練習にも耐えられた。スタイル的に多くの投げ込みを好むタイプではなく、外国人監督のブラウンとも合致したというのもあるが、身体が出来上がっていくにつれて、チェンジアップ、スライダーと球種を増やしていき、ピッチングをデザインしていったのだ
1年目から1軍に帯同して勝利を求められ、小手先だけの変化球を覚えていたなら、今の前田がどうなっていたかはわからない。もちろん、前田は、スマートな選手だし、どんな状況に置かれても事態を把握して、自分の成長へとつなげることができる選手である。しかし、それぞれにあった成長曲線というのは意識しなければいけないだろう。「早く」みたい選手なのか、「長く」みたい選手なのかの線引きは前田を見ると、非常に重要と言える。当時の広島は「長く見たい」と彼の成長を待った。