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NPB歴代の首位打者は? 「打率」は試合数も大きく左右、4割打者の登場なるか<1950年代>【プロ野球史を振り返る】

2020/05/06

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1955

セ 川上哲治(読売ジャイアンツ)
打率.338(120試合435打数147安打)
パ 中西太(西鉄ライオンズ)
打率.332(135試合473打数157安打)
 
「打撃の神様」川上は、通算5度目の首位打者に加え、3度目の打点王(79打点)とMVPを獲得。2位中日と15ゲーム差をつける快進撃を支えた。「怪童」中西は、初の首位打者のタイトル。同時に本塁打王(3度目、35本)にも輝き、打点も1位と1点差(98打点)だった。

1956

セ 与那嶺要(読売ジャイアンツ)
打率.338(123試合452打数153安打)
パ 豊田泰光(西鉄ライオンズ)
打率.325(148試合529打数172安打)
 
投手成績上位8位までが防御率1点台の投高打低時代に、与那嶺は同僚の川上(.327)とともに3割を大きく上回る打率をマーク。このシーズンのセ・リーグ3割打者はほかに阪神の田宮謙次郎(.300)だけだった。パの豊田は中西とデッドヒートを繰り広げ、0厘5毛差で初のタイトルを手にした。また、中西は打点、本塁打でトップに立っており、2年連続で惜しくも三冠王を逃す形となった。

1957

セ 与那嶺要(読売ジャイアンツ)
打率.343(126試合467打数160安打)
パ 山内和弘(毎日オリオンズ)
打率.331(126試合435打数144安打)
 
与那嶺は、2位の田宮(.308)を大きく引き離して断トツの数字。3度目の首位打者を手にした。一方、パの山内は自身初の首位打者に。本塁打争いでも1位と1本差の29本塁打を放つなど、総合力の高さが光った。また、1957年は西鉄の稲尾和久がシーズン20連勝を記録し、投手タイトルを総なめにした年でもあり、山内の健闘ぶりがうかがえる。

1958

セ 田宮謙次郎(大阪タイガース)
打率.320(120試合387打数124安打)
パ 中西太(西鉄ライオンズ)
打率.314(126試合404打数127安打)
 
セは、打率上位の常連となっていた田宮がついに初の首位打者となった。3割をマークしたのは田宮と、新人王の長嶋茂雄(.305)だけだった。パは、中西が2度目の首位打者に。本塁打との二冠で、打点は1位の葛城隆雄にわずか1点及ばず、1955、56年に続いてまたも三冠王を逃した。またそれ以外の年でも、多くの年で三冠王に手が届くところまで来ていた。

1959

セ 長嶋茂雄(読売ジャイアンツ)
打率.334(124試合449打数150安打)
パ 杉山光平(南海ホークス)
打率.323(115試合418打数135安打)
 
セは、ここで2年目の長嶋茂雄が初の首位打者に輝く。2位の飯田徳治が打率.296だったことからも、その傑出度が見てとれる。パは、杉山が初の首位打者に。南海の優勝に大きく貢献した。
 
 
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【図表】歴代首位打者の一覧はこちら

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