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豊田・中西による伝説の首位打者争い セイバーメトリクスの視点で過去の打撃ベスト10を振り返ろう ~1956年編~

2020/06/15

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Getty Images, DELTA・道作



1956年のパ・リーグ

チーム 試合 勝率 得点 失点 得失点差
西鉄  154 .646 611 372  239
南海  154 .643 612 457  155
阪急  154 .578 581 459  122
毎日  154 .558 530 477  53
近鉄  154 .455 495 583  -88
東映  154 .390 411 558  -147
大映  154 .380 433 559  -126
高橋  154 .351 403 611  -208
 

 
 上位の選手について、旧来的な打撃3部門の数字などによって定着したイメージと、セイバーメトリクスの指標により求められた実際の貢献(wRAA)が相反するシーズンになっている。このあたりの年代では最も乖離が大きいシーズンではないだろうか。

 この年は、本塁打・打点王を確定的なものとしていた中西太(西鉄)と、チームメートの豊田泰光が最終戦を前に打率部門で毛差の競りあいとなっていた。最終戦の成績で首位打者が決まる状況だ。しかししこりが残ることを警戒した西鉄首脳陣は両者を欠場とし、わずかにリードしていた豊田の首位打者が確定。中西の三冠王は夢と消えた。この話はタイトル争いの逸話としては最も有名なものかもしれない。
 
 本塁打・打点でリーグを圧倒し、打率も毛差の2位となれば中西の打撃は他の追随を許さぬレベルに思えるだろう。しかし、総合打撃指標であるwRAAを導入するとまったく景色は異なる。当時話題を独占した2人とその最終日の伝説に関係なく、wRAAトップは山内和弘(毎日)がマークしていたのだ。
 
 四球を大量獲得していたことも山内がトップとなった理由の一つだが、より注目したいのが二塁打の数だ。この年に山内が記録した二塁打47本は、1998年にフィル・クラーク(近鉄)が48本を記録するまで40年以上NPB最高記録として残ることになる。打率など旧来のスタッツでは二塁打・三塁打は単打と同じ扱いになってしまうが、総合指標wRAAでは、それぞれに適切な重み付けが行われるため選手評価に大きな影響を与える代表的な例といえる。
 
 2位は豊田、3位は中西という並びになったが、これは中西の欠場がややかさんだ点が響いている。1打席あたりの打撃貢献を示すwOBA(※3)で見ると、豊田と中西の並びは逆になる。
 
 このシーズンは豊田・中西を擁する西鉄(611得点)よりも南海(612得点)のほうが多くの得点を奪うことに成功している。豊田、中西のような代表的な強打者がいなかったためにしぶとい、あるいは効率よく得点を奪うといった評があったようだ。しかしスタッツを見る限り全体的に一定水準以上の打者を多く揃えていただけのようである。西鉄・南海はともに96勝、引き分けの関係で敗北が1つ少なかった西鉄の優勝となったが、これで90勝を挙げながら優勝できないチームが3年続けて発生している。やはりこの時代におけるチームごとの戦力差は大きい。
 
 7位の佐々木信也(髙橋)という名前は、特に私のような年代のものには目を引かれる。現役引退後は人気番組「プロ野球ニュース」を自力で企画。番組内でキャスターを長く務めた。そのことを知らないファンもすでに多いかもしれない。ほかに河野旭輝(阪急)が当時新記録のシーズン85盗塁を記録するなど、話題の多いシーズンである。
 
 ベスト10圏外の選手では武智修(近鉄)を取り上げた。0本塁打で56打点という記録は長いNPBの歴史の中で見ても異色の成績だ。私は以前打点が記録される仕組みについて分析し、一般的な打撃成績であればどの程度の打点を残すことが妥当かの数式をつくった。その式にあてはめたとき NPB史上で最も高い倍率を残したのがこの武智だ。打点を勝負強さの指標とするならば、まずこの武智を歴代最強の勝負強さを持つ一人と認めなくてはならない。なおセイバーメトリクスにおいて、勝負強さという概念が否定された研究結果はいくらでもあるが逆はほぼない。

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