知っていますか? MLBとNPBの“年金”の歴史【事務局長・松原徹氏に聞く、日本プロ野球選手会の実態7】
2004年の球界再編問題の時に、日本のプロ野球選手会の存在を知った野球ファンの方は多くいるのではないだろうか。今回、ノンフィクションライターの田崎健太氏がプロ野球選手会事務局長の松原徹氏へ選手会、そして野球界の抱える様々な問題について取材を行った。7回目と最終回は年金制度を取り上げつつ、日米の制度の違い、選手会の取り組みの違いを掘り下げたい。
2015/07/20
NPB年金制度の経緯
また、プロ野球の年金が、「誰を運営母体として」「どのような経緯」で誕生したのかも、きちんと知られていない。
年金制度とは、運営母体によって毎年一定の金額が定期的に加盟者へ支払われることを指す。この運営母体は国など公的組織、民間企業、団体による私的組織に分類される。
プロ野球で年金制度が導入されたのは1964年のことだ。運営母体は日本プロ野球機構(NPB)、各球団の監督、コーチ、選手、審判員を対象とした私的年金である。
選手会の松原徹事務局長によると、当初は、プロ野球機構側の〝好意〟で始まったという。
「当時、NPBに何らかの形で余剰金があったそうです。それを選手に還元しようという話になった。とはいえ、プロ野球機構側と各球団の選手には雇用関係にない。オールスターの間だけプロ野球機構が全選手を預かるという形にして、適格年金の制度に当てはめたと聞いています。その期間だけ従業員とみなした、わけです」
適格年金とは、企業年金の一つである。
企業負担の掛け金を損金算入できるなど、税制上の優遇措置がある。税金を取られるのならば、年金の掛け金という形で選手に渡してしまえ、という発想だったのだ。
ところが――。
2004年、当時の首相、小泉純一郎が年金改革に手をつけた。もはや右肩上がりの経済成長、国家の歳入増は見込めない。財政赤字の原因である社会保障費を削ることにしたのだ。
その中には厚生年金基金の解散などの他、プロ野球機構が利用していた適格年金の廃止が含まれていた。
NPB側にとって、適格年金制度廃止は好機だった。実はすでにNPBの年金は破綻していたのだ――。
「年金制度を白紙に」日本の選手会ならではの決断と普及活動【事務局長・松原徹氏に聞く、日本プロ野球選手会の実態8】
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日本プロ野球選手会事務局長
松原徹(まつばら・とおる)
1957年5月、川崎市生まれ。1981年に神奈川大からロッテ・オリオンズ(現千葉ロッテ・マリーンズ)に球団職員として入団。一軍マネージャーなどを務めた後、1988年12月に選手会事務局へ。2000年4月から事務局長。2004年のプロ野球再編問題では、当時のプロ野球選手会の会長であった古田敦也らとともに日本野球機構側と交渉を行った。
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