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国民的スター長嶋が引退 セイバーメトリクスの視点で過去の打撃ベスト10を振り返ろう ~1974年編~

2020/08/05

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Getty Images, DELTA・道作



1974年のパ・リーグ

チーム  試合 勝率 得点 失点 得失点 前期/後期
ロッテ  130 .580 539 462  77   2/1
阪急   130 .575 577 524  53   1/3
南海   130 .518 504 460  44   4/2
太平洋  130 .480 436 482  -46   3/4
近鉄   130 .459 472 503  -31   5/4
日本ハム 130 .395 472 569  -97   6/6
 

 
 前年参入の日拓ホームが1年で日本ハムに身売り。この後、日本ハムは本拠地の変更こそあったものの、現在まで無事に存続している。
 
 このシーズンもwRAA1位は39.0を記録した張本勲(日本ハム)。ただし、これがキャリア最後の1位となる。この年は打率.340で7回目の首位打者を獲得したほか、出塁率.452で9回目の最高出塁率を獲得している。

 この年は以前より飛びにくいボールが使用されたようで、ベスト10の様相は一気に様変わりしている。張本も前年の33本から14本に大きく本塁打を減らしたほか、張本と同じ出塁を得意とする打者であるドン・ビュフォード(太平洋)がwRAA31.7で2位。ビュフォードは1位の可能性もあったが欠場がかさんだのが痛かった。ボールの影響を受け、長打系の打者は下位・圏外へと押しやられ、ベスト10選手の総本塁打数も前年の279本から217本へと60本以上も減少。明らかに異なるトレンドの1年であった。
 
 そんな中、異彩を放ったのがクラレンス・ジョーンズ(近鉄)である。まず外国人枠選手として史上初の本塁打王。しかもレア度の高い、規定打席到達者中最低打率での本塁打王である。打率は.226であった。この記録はのちに1987年のランス(広島)、2011年のウラディミール・バレンティン(ヤクルト)が再現する。
 
 また、各年度のwRAAベスト3を過去から現在まで見ても、打率.226はベスト3に入った打者の中で最も低い。安打数は93。シーズン2ケタ安打でのベスト3入りは試合数が少なかった1951年にまでさかのぼる。さらに長打が単打を9本上回っており、これもパ・リーグ初。そして四球は96を数え安打数より多くなっている。2リーグ時代にこれを達成したのはほかに王貞治(読売)が4回と、2014年のアンドリュー・ジョーンズ(楽天)の1回だけである。四球を出塁の重要な武器とし、スイングする場合には常に長打を狙う、日本球界にはなかった現代風のスタイルが奇妙なスタッツにつながったようだ。
 
 ベスト10圏外で取り上げたのはジョージ・アルトマン(ロッテ)である。打席は327と少なかったものの、このときすでに41歳であったことに違和感を覚えるほどの素晴らしい打撃成績を収めた。出塁率.450で、.452を記録した張本にわずかに及ばなかったものの、wOBA(※3)含む率系の指標はほとんど他選手をちぎった好成績を記録。シーズン途中でがんに倒れたが、打席が少ない打者が不利になるwRAAで首位張本にわずか1.4点差にまで迫っている。もう少しで規定打席未満のナンバー1打者が誕生するところであった。
 
 南海ではウェス・パーカーがこの1年間だけではあるがプレーした。パーカーは引退後の2007年に行われた投票によって、MLBのオールタイムゴールドグラブ、すなわち史上最も守備のうまい一塁手に選ばれた選手である。あとでわかったことではあるが意外なビッグネームが在籍していたようだ。
 
 さらにこの年は派手なパフォーマンスで人気を呼んだ金田正一監督のロッテが優勝し、日本シリーズも制覇。この項の記述が長くなっていることからも明らかなように、この年のパ・リーグは非常に話題が多かった。しかし、世間の注目はパ・リーグではなくほかの話題に釘付けになってしまう。同じ10月に長嶋茂雄(読売)の引退、そしてモハメド・アリの「キンシャサの奇跡」という2つの歴史的なイベントが起こってしまったせいであった。

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