的場寛一、ドラフト1位の肖像#4――「ぼくは出過ぎた杭になれなかった。実力がなかった」
1999年ドラフト1位(逆指名)で阪神タイガースに入団した的場寛一は、将来を嘱望される期待の大型遊撃手だった。しかしプロ入りの野球人生は試練の連続だった。(2016年12月4日配信分、再掲載)
2020/04/14
田崎健太
社会人野球で好成績
2005年10月、的場寛一は阪神タイガースから戦力外通告を受けた。翌2006年、トヨタ自動車に入社、硬式野球部でプレーすることになった。
トヨタ自動車硬式野球部は、1947年創部の歴史ある社会人チームである。元東京ヤクルトスワローズ監督の古田敦也、的場にとっては阪神時代の同僚に当たる安藤優也などを輩出していたが、強豪社会人チームがひしめく東海地区の中では、くすぶった存在であった。
そのトヨタ自動車は的場の加入以降、2007年、08年、10年の日本選手権で優勝。2009年の都市対抗野球では準優勝という好成績を残している。2010年の日本選手権では的場は打撃賞、大会優秀選手にも選ばれている。
社会人選手に囲まれ、改めて自分がいたプロ野球との違いを的場は思い知った。
「プロに行けそうな人間とそうでない人間はだいたい分かる。すごいぼんやりした表現なんですけれど、センスが違うんです。例えば、ピッチャーのバント処理。教えなくてもささっとボールを拾って、野手のように身体が使えるのがセンスのいい選手。野手でも、ボールを獲った後、軽くふわっと、綺麗な回転で投げられるのと、そうでない人間がいる。相手が獲りやすいボールを投げる子はセンスがある。ボール扱いのセンスと言うたらいいんですかね」
内野手の前にボールが転がってくるとする。ボールをグローブで捕球、利き腕で握る。プロの内野手は、握った瞬間にボールの縫い目を感じることが出来るという。
「もちろん余裕があるときは投げやすいように握り直します。ただ、すぐに投げないといけないときもありますよね。この縫い目でそのまま投げたらスライダーみたいな回転になる。ファーストが獲りにくいというときは、敢えてシュート回転で投げたりする」
転がったボールを拾って、わしづかみのような形で送球しなければならないこともある。そうした際は、腕の振りで回転を調節する。
「野球の試合運びはゆっくりですけれど、水面下では素早い判断が要求されるんです。判断のために、色んな情報を頭に入れておかないといけない。ランナーがどこにいるのか、あるいは打者の足の速さ。一瞬、一瞬のプレー、ちょっとしたプレーで試合の流れが変わることがある。だから細かなプレーをおろそかにしてはならない」
そんな風に考えられるようになったのは、自由契約になったぐらいのときでした、と的場は自嘲気味に言った。