勝敗を分けた世界での経験の差。日本代表、アジア野球選手権大会V6ならず【横尾弘一のプロにつながる社会人野球】
9月14日から台湾で行われたアジア野球選手権大会。社会人選手24名で編成された日本代表は大会6連覇を目指して戦ったが、韓国とチャイニーズ・タイペイに敗れ3位に終わった。
2015/09/24
プロの登竜門となった歴史ある大会
1954年にフィリピン・マニラ市を舞台に第1回が開催されたアジア野球選手権大会は、不規則なペースで行われて1975年の第11回で休止され、8年後の1983年にロサンゼルス五輪のアジア予選として復活する。
その後は2年おきの開催となり、五輪前年の大会が予選を兼ねる。
そして、北京五輪予選を兼ねた2007年の第24回のあとは、他の国際大会と日程が重ならないよう、開催地を探しながら実施されている。
日本では、1955年の第2回に立教大2年だった長嶋茂雄が出場して初優勝に貢献。
当時は社会人と大学生が交互に代表チームを編成しており、1965年の第6回では法政大1年だった田淵幸一がレフトポール際に特大本塁打を放って王座を手にした。
そうして、のちにプロで大活躍する選手たちの登竜門となりながら、今年で27回を迎えている。
ちなみに、過去26回で日本は優勝18回(同率優勝を含む)と、アジア野球のリーダーたる成績を残しており、2003年の第22回から大会史上最長となる5連覇を達成している。
6連覇を目指し、社会人選手24名で編成された日本代表は、9月14日に開催地の台湾・台中市に乗り込んだ。
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