由規の速球に憧れ――日の丸背負った経験も糧に、ドラ1候補へ成長を遂げた熊原健人
大学日本代表とU21日本代表と2度、日の丸を背負い、ドラフト1位候補に挙げられている仙台大の152キロ右腕・熊原健人。秋のリーグ戦は納得のいく結果をあげられなかったが、プロを目指して、日々野球に取り組んでいた。22日、熊原に吉報は届くか。
2015/10/16
高橋昌江
目標としていたプロの世界まであと一歩
最後に勝負弱さが出たかもしれないが、大学4年間での成長率は大したものだ。小学5年の終わり頃、習い事感覚で野球を始めた。中学時代は楽しい部活動。そんな中、仙台育英で豪速球を投げていた由規(現ヤクルト)に心奪われた。
自分もあんな球を投げてみたい――。
速球への憧れを抱くようになる。
高校時代、球速は141キロに到達したが、甲子園にたどり着けず、不完全燃焼で終わった。上のレベルで野球をやりたい気持ちが芽生えたが、実家の神社の後継問題があり、諦めかけた。そんな中、仙台大から声がかかり、周囲が両親を説得。熊原本人も「プロ野球選手になりたい」と夢を話し、道が開けた。
大学入試の面接では、「155キロを投げ、東北福祉大を倒し、プロに行くために志望しました」と志望動機を話した。それは、大学4年間でどうなりたいかの宣言でもあった。
1年冬、森本吉謙監督の目に熊原の速球が映った。2年春のキャンプ、オープン戦で結果を出し、3年春から“エース”の役割を担った。この年、チームを67季ぶりのリーグ優勝と大学選手権初出場初優勝に導く。そして、大学日本代表とU21日本代表と2度、日の丸を背負った。
「選ばれた時は、何でオレ!? って思いましたよ。テレビで見るだけだったプロの世界の人たちと野球をやる機会に恵まれ、もし、自分がプロに入った後、自分の力が通用するかしないか、比較することができました。さすが、プロだなというところがたくさんありました」
宮城の片田舎で育った熊原が未知の世界と遭遇。視野が広がった。森本監督は「お前、本当に代表に行って来たの? というくらい、いい意味で変わらない」と話していたことがある。熊原が日本代表で得たのは「自分なんて、まだまだ」という謙虚さだった。
「自分なんて、ヘボいですよ。だって、プロの世界だったら、藤浪とか、大谷とか、自分よりも年下で凄いヤツ、いっぱいいますから」
そんなことを笑いながら言う。
どんな練習でも、その意図を考えながら取り組んできた。「もっといい練習があるのではないか?」「もっといい方法があるのではないか?」自問自答しながらボールを握り、“流す”ような練習はしなかった。その意識の高さも開花につながっているだろう。
「ドラフトって、テレビで見たり、雑誌で見たりしていたイベント。去年は『来年、指名されるといいな』と思っていたくらい、人ごとでした。いよいよ、自分のことになりましたが、まだ実感はないんですよね。当日の午後になって、ソワソワすると思います」
プロを目指して投げ続けた4年間の答えが出るまで、あと4日――。