恩師・米澤監督が明かす、オコエ瑠偉の成長とこれからの課題
今夏の甲子園で、走攻守通じて最も大きなインパクトを残し、ドラフト1位候補に名前の挙がるオコエ瑠偉外野手(関東一高)。だが、入学直後は飛び抜けた存在ではなかったという。3年間指導してきた米澤貴光監督は、オコエの成長をどう感じているのだろうか。
2015/10/17
高木遊
【写真】考えを押し付けることはなく、「選手と指導者の共同作業で上手くなろうという認識です」と話す関東一高・米澤貴光監督。教え子に中村祐太(広島)、山下幸輝(DeNA)ら。
飛び抜けたものは当初なかった
――入学の経緯はどのようなものだったのですか?
米澤「中学時代のプレーを観たことはなかったのですが、本人が希望してウチに入ってきてくれました。(オコエの在籍していた)東村山リトルシニアの先輩外野手が2学年上にいて、そういうご縁もありました」
※オコエは中学2年の春に「大腿(たい)骨頭すべり症」という難病を発症し、1年間を棒に振っている。
――レギュラーを獲得したのは2年春の東京都大会から。ドラフト1位候補と呼ばれる野手にしては、遅いデビューですね。
米澤「入学当初は、そこまでスピードがあったり、肩が強かったりといった飛び抜けた力はありませんでした。ただ守備の反応の一歩目などに、“良いものがある”とは感じていました」
――彼の中で何かがターニングポイントとなるようなことがあったのでしょうか?
米澤「(2年春の)センバツ出場が決まった後の2月ぐらいから、だいぶ良くなってきていると感じました。1年夏から出ている同期もいたので、1年秋から“自分もやれる”という気持ちでいたのでしょうが、それができずに悔しい思いがあったのでしょう。センバツではメンバー入りできませんでしたが、その後の東京都大会から試合に出るようになりました」
帝京高の存在
――オコエ選手の最大の魅力として、やはりそのスピードが挙げられます。
米澤「石崎学トレーナーの考えも大きかったのかなと思います。“スピードを生かす”という考えで指導に当たっていたのが、彼にもすごく合っていたのかなと。また他の学校よりもウチは実戦練習が多いので、それもプラスだったのでしょうね。チーム全体で行う練習はほとんどが実戦練習で、個人練習は個人でやる時に、という感じです」
――そのような練習にしている理由は何かあるのでしょうか?
米澤「やはり帝京高校さんに何をやっても勝てない時期があったからですね。特に降雨コールド(2007年夏東東京大会準決勝)で帝京に負けてしまった時は、力があった学年でしたが、それでもダメだったんですよ。それがひとつのきっかけ、転機でしたね。同じことではなくて、違うことをやらなければいけない。投げ方や打ち方だけではなく、1アウト一、二塁でどうやって守るのか、攻めるのか、そういったことをもっとちゃんと教えていこう、と」
――それが今の関東一高のスタイルにもなり、オコエ選手の成長に繋がったのですね。対帝京ということでは、オコエ選手は夏前に「1番悔しかった試合は昨夏の準決勝(帝京高に4-12で敗戦)」と話していました。
米澤「準決勝でオコエは何もできなかったのではないでしょうか。大会中にオコエは何回も足をつっていたんです。脱水症状は体力がある・ないだけの問題ではないのですが、夏を戦い抜く力が足りないということが強くわかったのだと思います」
――さらに秋も準決勝で二松学舎大附に敗れ、2季連続で甲子園を逃しました。
米澤「夏・秋と中心打者として、良いところで打てなかったので、その悔しさの表れが2年の冬に出ましたね。ついてくるだけの1年冬から1年が経ち、こうなりたい・こうしたいと練習するようになりました。本当によく頑張ったと思います」