残り3つのアウトを奪う難しさ。則本、2イニングを任せた侍ジャパンに見えた隙【小宮山悟の眼】
前回、第1回プレミア12の大会に関しての総括を述べたが、3位に終わった侍ジャパンの戦いについても総括したい。
2015/12/10
投手編成を教訓に
もう1点、言わせてもらえば、チーム編成……特に投手の選び方にも疑問が残った。過去のWBCを教訓にして、各チームのエース級の先発投手と、抑え投手を中心にピックしたのだろうが、もし、私が選択する立場にあったら、先発は、大会期間をローテーションで回せる最低限の人数……3人か4人しか指名しない。残りの枠は、たとえば、左打者に絶対的に強いというようなスペシャリストのために使うだろう。
WBCは投手の球数制限や連投制限があったため、初回からマウンドに上がる第1先発、その後をロングリリーフする第2先発という形を執った。だが、「プレミア12」には、そのルールがない。試合終盤に迎える山場にスペシャリストを大量に投入できるような投手編成をできたのだ。その点も次大会は考慮してほしい。
ここまで、侍ジャパンの戦いぶりに対する見解を、韓国戦を中心に述べさせてもらってきたが、決して監督の采配を全面的に批判しているわけではない。
大会を通して、負けたのはその韓国戦だけなのだから、全体としてはよく頑張ったとさえ思っている。采配批判はあくまでも結果論。実際にプレーするのは選手たちなのだから。
韓国戦後、小久保監督は「自分の采配ミスです」と頭を下げた。むしろ、その姿を見た選手たちの間から、「監督にあんなことをさせて申し訳ない」という声が聞こえてこないことのほうが心配だ。
選手たちには、日の丸の重みをもう一度、心に刻み直してもらいたい。
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小宮山悟(こみやま・さとる)
1965年、千葉県生まれ。早稲田大学を経て、89年ドラフト1位でロッテ・オリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)へ入団。精度の高い制球力を武器に1年目から先発ローテーション入りを果たすと、以降、千葉ロッテのエースとして活躍した。00年、横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)へ移籍。02年はボビー・バレンタイン監督率いるニューヨーク・メッツでプレーした。04年に古巣・千葉ロッテへ復帰、09年に現役を引退した。現在は、野球解説者、野球評論家、Jリーグの理事も務める。