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”甲子園のスター”から一転…プロ野球で挫折を味わった主役6人|全国高校野球大会

2024/08/10

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産経新聞社



荒木大輔


投打:右投右打
身長/体重:179cm/79kg
生年月日:1964年5月6日
経歴:早稲田実
ドラフト:1982年ドラフト1位
 
 早稲田実(西東京)で1年夏から3年夏まで、5季連続の甲子園出場を果たした荒木大輔。甲子園では通算12勝5敗という成績を残したが、プロの世界では苦しんだ。
 
 1年夏の甲子園では、背番号「11」をつけた1年生エースとして躍進。同大会では決勝戦で愛甲猛(元:ロッテなど)を擁した横浜(神奈川)に4-6で敗れたが、準優勝の立役者となった。
 

 
 3年夏の甲子園では、準々決勝で強打が自慢の池田(徳島)と対戦。注目の1戦となったが、毎回安打を許すなど苦しみ、2-14の大敗。最後の甲子園は”やまびこ打線”に飲み込まれた。
 
 その後、荒木はドラフト1位でヤクルトスワローズに入団。だが、活躍できた時期は長くなかった。
 
 プロ5年目の1987年には31試合登板で10勝9敗とキャリア唯一の2桁勝利を記録したが、防御率は5.07と厳しい数字に。その後は右肘内側側副靱帯再建術(通称:トミー・ジョン手術)、椎間板ヘルニアなど度重なる故障に悩まされ、成績を伸ばすことは出来なかった。
 
 1995年オフに無償トレードで横浜ベイスターズ(現:DeNA)に移籍するも、加入初年度もわずか5試合登板にとどまり、同年限りで現役生活にピリオドを打った。

 

 

 
【了】

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