かつての無名校が甲子園を沸かせた…優勝候補・大阪桐蔭を打破した下関国際の歩み【高校野球】
2022/08/19
産経新聞社
廃部寸前の無名校を甲子園に導いた名将
下関国際は1964年に設立された私立校。硬式野球部は65年に創部された。甲子園とは縁遠く、県内でも長く無名。それどころか、2000年代前半は不祥事の影響もあり部員、指導者ともに不足する事態に陥っていた。
転機が訪れたのは2005年。現在もチームを指揮する坂原秀尚が、監督に就任した年だ。同じ下関市内にある東亜大に教員免許取得のため通っていた坂原が、甲子園を目指し一からチームを作り始めた。地道に部員を増やし、09年夏には県大会ベスト8入り。この時2年生エースだった宮崎敦次は大学を経て千葉ロッテマリーンズへ入団し、下関国際初のプロ野球選手となった。
15年春には初めて県大会で頂点に立ち、夏も準優勝。そして17年夏、ついに甲子園初出場を果たす。初めての甲子園は初戦で三本松(香川)に4-9で敗れたが、新チームが秋以降さらなる躍進を遂げ、18年は春夏連続で聖地の土を踏んだ。長い年月をかけ、坂原監督が強い下関国際を作り上げた。