阪神のルーキー・板山、乙坂らプロ10人輩出。全国屈指の名門・中本牧リトルシニアの教え
選手にとって、指導者の教えがその後に大きく影響する。多くのタイトルを獲得し、プロ野球選手を10人輩出した中本牧リトルシニアの村上林吉監督は、「大切なのは出会いと我慢、故障しない体づくり」と語る。
2016/01/02
高木遊
金本監督の秘蔵っ子は控えの二塁手だった
「人間っていうのは、出会いだね。進む道に対して、運の良い子、出会いがある子っていうのかな。それが素晴らしいなって思うんだよね」
1978年に中本牧リトルシニア(神奈川県横浜市)を創設し、これまで多くのタイトル獲得と好選手を輩出してきた村上林吉監督(67歳)は、そうしみじみと語る。
2015年のドラフト会議で阪神に6位指名された板山祐太郎外野手(亜細亜大)でプロ野球への輩出選手が節目の10人目となった。この指名は、金本知憲監督の強い意向だったとされ、いわば秘蔵っ子とも言える。
そんな板山は3月27日生まれの「早生まれ」ということもあり、中本牧時代は控えの小柄な二塁手だった。
「守備の球際が強くて、グラブさばきも柔らかくてね。ただ、打撃がイマイチでした」
そんな板山が進学したのが東京・成立学園高。当時は甲子園出場もなく、中本牧から同校に進んだ選手はいなかった。
だが、成立学園高の菅沢剛監督が中本牧に挨拶へ来た際、村上監督が何気なく「(板山が高校決まってないから)お土産持って帰らない?」と冗談を飛ばしたことがきっかけで話が進んだ。
成立学園高に進学した板山は1年秋からレギュラーを獲得した。そして、亜細亜大に進学後、外野手に転向。現在では180cm79kgと立派な体格に成長を遂げた。「最初は冗談で菅沢監督に話したんだけど、守備を中心とした野球をする監督のチームへ行って良かったですよ」と村上監督は振り返る。