甲子園の“代償”!? 酷使された絶対的エース6人。聖地で700球以上投げたプロ野球選手たち
2024/08/17
産経新聞社
川口知哉(820球)
投打:左投左打
身長/体重:184cm/86kg
生年月日:1979年8月25日
経歴:平安
ドラフト:1997年ドラフト1位
ドラフト会議では4球団が競合し、大きな注目を集めた川口知哉は結果的にプロで1勝も挙げられなかった。
川口は平安(現・龍谷大平安)の出身で、3年夏の甲子園に出場。「2桁奪三振と完封勝利」を宣言するなど、強気な発言が話題となった。
決勝戦で敗れたものの準優勝の立役者となり、一躍ドラフト1位候補に名乗りをあげた川口。4球団が1位指名し、抽選の末にオリックス・ブルーウェーブ(現:バファローズ)への入団が決まる。
誰もが”将来のエース”という期待をかける中、高卒1年目にフォーム改造に着手。この出来事が川口の運命を狂わせたのか、高校時代のような投球が見られないようになった。自身も「完全にイップスだった」と語るように、本来の投球は影を潜めた。
ルーキーイヤーは1試合登板で防御率27.00という成績に終わり、翌年以降は1軍のマウンドに立てない日々が続いた。プロでは通算9試合の登板にとどまり、2004年で現役引退。フォーム改造に加え、甲子園で投じた820球もダメージを与えていたかもしれない。