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強打健在、センバツ4強の秀岳館(熊本)。異色の指揮官『初球打率論』進化させ、夏の頂点狙う【2016年夏 注目校ルポ】

中学ボーイズリーグの名門「枚方ボーイズ」で指揮を執り、甲子園のNHK解説でも知られる鍛治舎巧氏が秀学館の監督になったのは2014年のことだ。この春のセンバツでは、ベスト4に進出。強打の打撃で一世を風靡した。夏に向けて、狙うは初の頂点だ。

2016/07/09

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「オール枚方」の監督、NHK解説員を経て

 県岐阜商の4番打者として3年春のセンバツに出場。初戦では大会通算100号のメモリアル弾も放った鍛治舍監督は、早大でも日米大学野球で日本代表の4番を務めるなど活躍。卒業後は松下電器(現パナソニック)に入社し、2年目には阪神からドラフト2位指名を受けたものの入団を拒否し社会人でプレーを続けた。

 1981年に現役を退いたが、その後も松下電器の監督、日本代表のコーチなど要職を歴任。1985年春からはNHKの甲子園大会解説員となり、今なお語り継がれる名勝負の数々に立ち会ってきた。

 さらにオール枚方ボーイズの監督としても、計12度の日本一に輝いている。この間、多くの教え子が全国の強豪校から甲子園出場を果たし、後にプロ入りする国吉佑樹(DeNA)らも手塩にかけた。

 そんな鍛治舍監督と秀岳館に繋がりが生まれたのは2001年夏だった。当時NHKの解説員だった鍛治舍監督は甲子園初出場を果たした秀岳館の試合を担当。ここから枚方卒団生を派遣したり学校で講演活動を行うなどの交流が生まれ、2014年の就任要請受諾へと至ったわけである。

 秀岳館のユニフォームに袖を通した鍛治舍監督は、1日800スイングを課し、時期によっては1000スイング+25%のノルマを設定するなど、とにかく打撃強化に集中。自らが描いた全国制覇のためのマニュアルに沿って、妥協を許さぬ猛練習の日々を送る。やがて自らが監督就任時に「オール枚方」から引き連れて入学した「鍛治舍チルドレン」が最高学年に立つと、1日8時間練習の成果が秋の九州大会、そして今春のセンバツで結果となって表れた。鍛治舍監督の証言である。

「1回戦の花咲徳栄戦でウチの打球が抜けていくんですよ。2回戦の南陽工戦でも初回にいきなりこちらの打球を相手の遊撃手がファンブルしました。それはやっぱりロングティーだとかスクワットティー、振り込みなどで日頃からトップからミートまでのスイングスピードを上げてきた成果なのです」

 ごく明快なことではあるが、強打を誇る秀岳館打線最大の特徴は「ボール球に手を出さない」ことにこそある。これらは鍛治舍監督が就任当初から口を酸っぱくして説き続けている「初球打率」を突き詰めたものだ。初球打率とは決して初球を仕留めろと言っているのではない。狙い球を絞り、相手投手が決めに来る低めのボール球にも手を出さず、狙った球が来るまではファウルで逃げ、相手投手に球数を放らせる。そうして1試合の中でわずかしかない相手の失投を捉え、一球で仕留めようという打撃を指したものである。

 つまり、センバツで注目された“ノーステップ打法”とは、わずか一球で仕留めるために秀岳館が貫いてきた打撃そのものだった。

 その極意を、あらためて鍛治舍監督に尋ねてみた。

「バットをひと握り短く持ち、打席の一番後ろでベースにかぶさるように立つ。重心を低く保ち、体重を9:1で後ろに残し、ノーステップで逆方向へ打ち抜く。これで目線がブレることがなくなり、低めのボール球も見極めることが可能となり、内角球はファウルにすると割り切る。結果、相手投手の球数が増え、こちらの三振も極端に減るのです」

 まさに鍛治舍野球の真骨頂といっていい勝利がセンバツ準々決勝の木更津総合戦だった。1点ビハインドの9回2死2ストライクまで追い込まれながら、逆転サヨナラに持ち込んでいる。この場面では5番・天本がフルカウントから内角低めの際どい直球を見極め四球で出塁。その後、6番・廣部の同点打が飛び出し、7番・堀江がサヨナラ打を放った。

 秀岳館では15mの距離から130キロに設定したマシンを集中的に打たせ、確実に捉える、またはファウルにできる反応を磨き続けてきた。もちろんボールカウントも追い込まれた状態で臨んでいる。こうした練習の成果が、大一番で実を結んだのだから、チームにとってはまさに快勝であった。

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