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叱ると怒るは本当に違う? なぜスポーツ現場で体罰がなくならないのか【脱・叱る指導】

2025/03/22 NEW

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令和7年に入っても、スポーツ界において体罰をめぐる問題は後を絶たない。3月はじめには、高校野球の名門・龍谷大平安高の原田英彦監督が、部員に反省を促す“強めの指導”を行った責任を取る形で、自ら監督の職を下りた。
 なぜ、指導者は叱りたくなるのか。『脱・叱る指導 スポーツ現場から怒声をなくす』の著者である臨床心理士・村中直人氏に、叱る指導に潜む危険性を解説してもらった。(文・村中直人)

 

ネガティブ感情で相手をコントロールする

 
 そもそも、どのような行為を「叱る(指導)」と呼ぶのか。ここを明確にしなければ、議論は進んでいきません。さまざまな考えがあって当然ですが、私自身は次のように定義づけています。
 
「権力のある人がネガティブ感情(苦痛、辛い、怖いなど)を使って、相手をコントロールすること」
 
「叱ると怒るは違うもの」と考える人もいると思いますが、それは権力者側の論理にすぎず、大切なのは受け手側の感情です。
 
 ついつい叱りたくなるのは、「人間が生来的に持っている処罰欲求」と考えることもできます。言葉の通り、「悪いことをしている人を処罰したい、苦しみを与えたい」という欲求です。
 
 誰かを叱ったあと、相手の行動に変化が見えたとき、どんな感情を抱くか想像してみてください。ある種の“満足感”や“気持ちよさ”が芽生えた経験はないでしょうか。処罰感情の充足とともに、自己効力感も高まり、“ご褒美”を手にできるのです。
 
社会の秩序を維持するために、「処罰欲求」は必要なものであり、「正義感」と言い換えることもできるでしょう。ただ、エスカレートしすぎると、〈叱る依存〉につながっていく恐れもあるのです。

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