渡辺俊介が目指した都市対抗野球。サブマリンが社会人チームに復帰した理由
千葉ロッテマリーンズでサブマリン投手として活躍した渡辺俊介が、日本復帰に選んだのは社会人チーム「新日鐵住金かずさマジック」だった。コーチ兼選手として、都市対抗野球出場に大きく貢献した。
2016/07/31
プロの道よりも、社会人野球
「日本一おもしろい野球がここにはありますから」
日本球界復帰について、切り出した言葉である。
千葉ロッテマリーンズで13年間、中心投手として活躍し通算87勝。14年から2年間は、アメリカにわたりマイナーリーグや独立リーグ、さらにはベネズエラからメジャーリーグを目指した。
渡辺俊介。
リリースポイントが日本一低いとまで言われた「サブマリン(=アンダースロー投手)」。いくつものオファーがあったようだが、日本復帰に選んだのは、新日鐵住金かずさマジック。かつて社会人時代に所属した新日鐵君津を母体に持つ広域複合企業チームである。
渡辺がプロ野球で活躍する礎を築いたのは、社会人時代の経験がある。
99年に入社した当時の監督は、應武篤良。のちに早稲田大監督で斎藤佑樹(ファイターズ)、福井優也(カープ)、大石達也(ライオンズ)らを育てあげた。「登板試合を見た時の調子がすごく良かった。でもコントロールは良くなかった」。発展途上だった渡辺は制球力を徹底的に磨き、投手としての才能を大きく開花させる。
00年には強化指定としてジャイアンツの春季キャンプに参加。同年、第71回都市対抗野球大会出場も果たす。本大会では4試合に登板、チームのベスト4入りに大きく貢献するとともに、シドニーオリンピック代表にも選出された。