高校野球史上初サヨナラボークで決着。西武・上本、延長15回の死闘「いい経験をした」【夏の甲子園、忘れられないワンシーン】
今年で101回目の夏の選手権を迎える甲子園。これまで、様々なドラマが見るものを熱くさせてきた。ただ、それは汗と涙の感動だけでは言い尽くせない、裏の物語がある。7日に開幕する甲子園を前に3回連載にて今までは語られなかった思い出を振り返る。
2016/08/02
悲劇のヒーローの女房役
プロ野球史上初のコリジョン・ルール適用によるサヨナラゲームがあった6月14日から数日後、その当事者となった西武ライオンズの上本達之が雑談する声が耳に届いてきた。
「僕、プロに入ってから、サヨナラの場面でマスクをかぶっていることが本当に多いんですよ」
この言葉を聞いた時、全身に鳥肌が立った。
なぜなら、その自虐的に語った言葉に、彼の過去の日がオーバーラップしてきたからだ。明朗快活で知られる上本とはいえ、きっとあの日の出来事は一生忘れられないものになっているはずなのではないか。彼の過去を想った。
1998年の夏、上本はあの悲劇のヒーローを支えた女房役だった。
松坂大輔(ソフトバンク)、杉内俊哉(巨人)、和田毅(ソフトバンク)、新垣渚(ヤクルト)らを世に輩出し、「松坂フィーバー」で沸いた第80回記念大会、2回戦の宇部商対豊田大谷戦でのことだった。
試合は、両者一歩も譲らない一進一退の好ゲーム。延長戦に入ってもなかなか決着がつかないシビれるような展開で、試合時間は4時間に迫ろうかというところまで経過し、延長15回を迎えていた。
15回裏、無死満塁の窮地を迎えていた宇部商の藤田修平―上本のバッテリーは1ボール2ストライクと追い込み、勝負球を決めようとしていた。
ところが、サインが決まり、藤田がセットに入ろうとしたその一瞬の間に、悲劇は起こった。
球審が上本の前へと出てきて“ボーク”の宣告を行ったのだった。
林清一球審は三塁走者にホーム生還を指示。延長15回まで及んだ死闘は、まさかの形で終止符を打ったのだった。
高校野球史上初めてとなる、サヨナラボークだった。
マウンドに呆然と立ち尽くしたエース藤田の姿は悲劇のヒーローそのものだった。