佐賀北に大逆転負け。敗者となった広陵・野村祐輔(広島)・小林誠司(巨人)が選択した1球の背景【夏の甲子園決勝の記憶】
2007年夏の決勝、広陵対佐賀北は球史に残る一戦となった。敗北を喫した広陵は、野村と小林のバッテリー。今はカープとジャイアンツでプレーする2人は、あの日あの時何を感じたのか。
2016/08/21
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僕の背中が選手を油断させた
ただその状況ほど、野村、小林のバッテリーは動揺していたわけではなかった。
野村は、元来、三振を多く奪取するタイプではない。「ひとつの球種ではなく、すべての球で打ち取るのが理想。一つの球に頼りたくない」というのが真骨頂だ。だから、この時も、打たせて取れるという自負があった。野村の回想。
「(ホームランを打った)副島はそれまでの打席で2三振。スライダーにはあってなかった。問題ないと思っていました。満塁だし、ゲッツーに取ればいいと」
小林も同じだ。
「あの時の僕は、真ん中に構えていました。審判のジャッジもあったし、コーナーに構えるより、真ん中に投げて来いと。僕の中では、野村のスライダーは分かっていても打てないと思っていましたからね。野村はそこに投げてくれました」
確かにボールは甘かった。
しかし、二人の予想を上回ったのは、打者・副島のスイングだった。それまでの打席とは打って変わり、完ぺきにとらえてきたのだった。
スローボールから始まった奇跡の逆転は、そうして起きたのだった。
指揮官の中井が自らを責める、野村、小林をかばうかのようにこう回想している。
「まさかホームランが出るとは思っていなかったですね。こんな人生があるのかと思いました。指揮官の油断です。あの試合はジャッジも含めて、ほとんどが佐賀北を応援していた。4‐0でしたけど、このまま終わらせたくないという雰囲気をヒシヒシと感じまして、4‐2くらいで勝とうと思っちゃったんです。普段、僕は試合の展開を予想したり、計算しないんですけど、あの日だけは、思ってしまった。あのスローボールを投げたことが敗因と言っても、投げ方の一貫としてやらせたのは僕だし、指導したのも僕だし、試合で使えるといったのも僕なんです。僕の背中が、選手たちを油断させた」