怪物松坂にノーヒットノーラン。京都成章キャプテンが振り返る98年【夏の甲子園決勝の記憶】
98年夏の甲子園は、怪物・松坂大輔フィーバーだった。その決勝戦で対戦した当時、京都成章の1番でキャプテンを務めていたのが澤井芳信だ。松坂に対峙した男は、今でもあの夏は忘れられないという。
2016/08/20
厳しい練習が雑草軍団を強くさせた
2009年、ボルチモア。ボストン・レッドソックスの松坂大輔が、オリオールズ戦のマウンドに立った。メジャーリーガーの風格を漂わせながら投げるその姿を、澤井芳信は特別な思いで見つめた。
「俺もこいつが投げた打席に立っててんなぁ、と。メジャーまで来てくれてありがとう、って思いましたね」
松坂と対峙した、あの夏。
1998年、甲子園。京都成章のキャプテンだった澤井にとって、それは決して忘れることのない夏だった。
平安を筆頭に、当時の京都は強豪揃いだった。ボーイズリーグやシニアリーグで名を馳せた選手たちが北嵯峨や京都西(現京都外大西)に入学、京都成章は軟式経験者ばかりで、エリートと呼ぶには程遠い雑草軍団。そんな自分たちが甲子園へ行くために何をすべきか。奥本保昭監督(現塔南監督)は「強豪校と同じことをしていても勝てない」と、メンタルトレーニングや体幹などのコンディショニングトレーニングに重きを置いた。
「3カ月に1回、体力測定があるんです。腹筋は体重が60~64㎏の人は6㎏、65㎏~70㎏ならば7㎏のおもりを頭の後ろに持って45度キープで1分間耐える。それが終わったら次は足を上げた状態で、足の上におもりを乗せてまた1分間。さらに背筋も同じく頭の後ろに持って1分間、足の上に乗せて1分間。これがクリアできないと基礎体力がないということでレギュラーになるための一つに基準になります」
大会が近づいて来れば、必ず取り入れられるのが「27アウト」という伝統練習。ベンチ入りメンバーのバッテリーと内野手が守備につき、外野手はランナーとなり、ファーストへの送球で9回、ダブルプレーで9回、バックホームを9回、計27個のアウトを連続して取るまで終わらない、エラーをすると全員でベースランニング1周をするという、まさに地獄の練習だ。
「26アウトを取った後、ショートの僕がホームに大暴投して最初からやり直したこともありました。あと1つ、というところでエラーですから。周りは露骨に嫌な顔をするし『何しとんねん』と怒号も飛んでくる。でもね、仲良しクラブじゃ勝てないですから。そうやってお互いの感情をぶつけ合って、ある一定の数をやるとどうすると終われるか、どのように声をかけると良いプレーができるかと考えだすんです。みんなでクリアするから達成した時のワーッという感じは、ものすごく大きい。ほんまにいい練習でしたよ」
どれほど厳しい練習も「やらされている」とは思わず、それが当たり前だと思って取り組んだ。野球だけでなく、生活面でも約束事を設け、きちんと守ることができればきっと野球にもつながると信じ、炭酸飲料は禁止、赤信号は渡らない、など、独自のルールも設けた。
「ちょっとヤンチャやったヤツが、朝6時に1人で交差点に立っていたんです。誰もおらんのに、赤信号が青に変わるのを待っていた。5mくらいの横断歩道だったんですが、誰も見ていない、車も来ていないとなれば渡ってしまう人もいるじゃないですか。でも渡らずに信号が変わるのを待っていた。彼は試合に出るメンバーじゃなかったけど、同じ気持ちで、当たり前のように信号を待っている姿を見たら、これがウチの強さや、って思いましたね」