「松坂には感謝の気持ちしかない」98年京都成章キャプテンは今、上原浩治を支える立場へ【夏の甲子園決勝の記憶】
98年夏の甲子園は、怪物・松坂大輔フィーバーだった。その決勝戦で対戦した当時、京都成章の1番でキャプテンを務めていたのが澤井芳信だ。松坂に対峙した男は、今でもあの夏は忘れられないという。
2016/08/21
初の決勝進出も世の中は怪物フィーバー
センバツでの悔しさを晴らし、夏の甲子園で1勝を挙げ、一回でいいから校歌を歌おう。それが京都成章の目標だった。テレビや雑誌で王者・横浜が取り上げられていたが、同じ甲子園出場チームとはいえ、自分たちとは縁遠い、別次元のチームという印象しかない。
「当たるのは嫌やな、と思うぐらいで。実際に戦うイメージは全くありませんでした」
初戦は甲子園初出場の仙台に10-7で勝利。10-3でリードしていたにも関わらず、9回に4点を追い上げられての辛勝だったが、初戦独特の緊張感に打ち克つ術は持っていた。
「9回に追い上げられた時、みんなにその場で『深呼吸をして、1回屈伸しよう』と声をかけました。落ち着くために意識を下におろそう、というメンタルトレーニングのテクニックなんです。浮き足立つと意識が上にいってしまうんです。どんなチームでも、一番緊張するのは初戦。苦い記憶とはいえ、春の経験と、やってきたトレーニングの成果があったおかげで、やっと勝つことができました」
ひと息つく間もなく、次戦までの間も厳しい練習が続く。暑さの中で勝ち進み、なおかつコンディションをピークに持って行くために、次の試合までは1週間くらいあったので、始めの3日間はグラウンドでの練習が終わった後、30m、50m、70m走をそれぞれ10本ずつ、最後にポール間5本を全力で走らなければ練習は終わらない。そして追い込んだ後の残りの日はコンディショニングを整えるための調整を行った。
決して大げさではなく、「練習が終わると、全員ぶっ倒れるぐらいに苦しかった」が、成果は顕著に現れた。春のセンバツでは岡山理大付に打ち込まれ、2回でマウンドを降りた悔しさをバネに、誰よりも走り込んできたエースの古岡基紀が好投し、2回戦で如水館、3回戦で桜美林、準々決勝で常総学院を打破。準決勝も豊田大谷に勝利し、あれよあれよという間に決勝進出。京都大会の頃は、決して飛びぬけて守備力のいいチームではなかったが、甲子園では堅守を披露し、如水館戦はノーエラーでの完勝だった。
初の決勝進出に盛り上がる京都成章以上に、この夏の甲子園は、社会現象と化すほど、驚異的な盛り上がりを見せた。
主役は春夏連覇を狙う横浜。PL学園に延長17回の激闘の末に勝利した準々決勝、そしてその翌日に行われた準決勝の明徳義塾戦は0-6からの大逆転。甲子園は、空前の松坂フィーバーに沸いた。